JIROの独断的日記
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2002年12月09日(月) |
今日は漱石の命日。東京では雪、ストックホルムではノーベル賞スピーチ |
いろいろと書いておくことがある。昨日は書き損ねたが、12月8日は日米開戦の日であった。
◆全然関係ないが、86年前、1916年の今日、午後6時45分に夏目漱石が亡くなった。49歳の若さである。今では考えられないが胃潰瘍で亡くなったのである。短いが凝縮された人生だった。漱石は今の私の年齢で、「三四郎」「それから」を書いている。そもそも、凡人と天才を比べるのがおこがましいのだが、自分の浅学非才ぶりを恥じる。勿論、あの世に行っても、会う勇気はない。
◆東京で12月に雪が降るのは確かに珍しい。平年より24日早いそうだ。最近の気候は何だか変だ。今年は秋を省略していきなり冬になってしまったような印象だ。今日だけでも東京では滑って転ぶなどして病院に運ばれた人が50人ぐらいいたそうだが、明日の朝は凍っているので余計に危ない。以前、「伊東家の食卓」で靴の上から何でも良いから靴下を履くと、地面と足との摩擦が高まり、氷の上でも滑らないという実験をしていたが、実際に通勤するときにそういう格好をするのは、なかなか、勇気を要する。
◆ノーベル賞はなかなか、段取りが面倒で、授賞式はまだ先なのだそうだ。日本時間の昨夜、小柴博士と田中さんがスピーチをしていた。堂々たるものであった。小柴さんは学者さんで、もう押しも押されぬ大先生だ。学会で英語で研究発表した回数など数え切れないだろう。今回のスピーチではメモも何も見ないで、ゆったりと話をなさっていた。貫禄、である。
田中さんに関してだが、氏が「英語のスピーチが心配」というのを、マスコミは文字通りに受け取っていたのであろうか?だとしたら、相当バカだ。
田中氏は今年の5月まで5年間英国に出向先で現地の技術者と研究生活を送っていたのである。英語の研究論文も書いているのである。スピーチぐらい出来ない訳が無い。「心配」といっても、次元が違うのである。
田中氏はあまりにも無欲な好人物なので、マスコミは勝手なことを面白おかしく書く。そこには、大衆の「ノーベル賞受賞者もわれわれと同じではないか」と感じたがる気持ちが間接的に作用している。無論、同じ人間なのであるが、ノーベル賞を受賞するということは、科学者にとって最高の栄誉であり、我々の想像を超えるような優れた研究を成し遂げた人物にのみ許される事なのだ、と言う事実は忘れてはならない。敬意を払うことを忘れてはいけない。優れたものや人物を自分のレベルに引き摺り下ろして考えてはいけない。これを、謙虚さ、という。
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