JIROの独断的日記
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2002年12月07日(土) |
「・・・だから清の墓は小日向の養源寺にある」(続) |
10月22日に、この日記で漱石の「坊っちゃん」について書いた。私は、「坊っちゃん」の最後の一文がたまらなく好きなのだが、インターネットで調べてみたら、作家の井上ひさし氏がこの部分について本に書いている事を知り、大変嬉しくなった。
「その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は25円で、家賃は6円だ。清は玄関つきのいえでなくってもしごく満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎にかかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」
井上氏はこの、「だから」を絶賛しているのだという。それも「日本文学史上に残る接続詞」とまで。「だから・・・」には祈りにも似た気持ちがこめられているという。なるほど、そういうことか。
流石は井上ひさし氏である。「だから」の一語をここまで、確信を持って解説することができるのは、やはり井上氏自身が非凡な感受性と、分析能力と、表現力をもっておられるからだ。私はなぜ、この最後の文章が強烈に心に残るのか、漸くわかった。というか、自分の感性が、そう、的外れではないのだな、と思って少し、嬉しくなった。
それにしても専門家というのは大したものだ。餅は餅屋である。
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