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■ エーシーオー沖縄『はてしない物語〜オキナワでゴドーを待ちながら〜』当日パンフ寄稿。
演出の戯言「オキナワ、ナニヲマツ」
田舎道。一本の木。夕暮れ。
そんなト書きから始まる『ゴドーを待ちながら』は、有名な「待っている二人」のお話だ。あ、演劇界で。ゴドーは果たしてやってくるのか? ゴドーは一体だれなのか? 「物語」と認識されず「何もおきない」不条理劇の最高傑作だなんて言われている。云々…そんなこと知らなくていいのです。演劇界で有名だなんてどうでもいいことだ。 とにかく大それて、オキナワでゴドーを待ってみることにした。そして、題はエンデの超有名作とおんなじである。だってこれは「物語」だから。 彼らは何を待ち、 何を求め、 何を手に入れようとしているのか、 しかも、オキナワという土地で。 手に入れられないのだとすると、どんな壁に阻まれているのだろう。 彼らがおかれている状況は多分、悲劇だ。 でも、人間というものは誰しも、それでも必死に生きて、アップで見るとものすごく悲劇だけれど、 引きの絵で観たら、すごい喜劇であったりする。 彼らも必死に生きている、明日を今日を、今を。 その姿が滑稽に映ってくれたらそれがいい。 本家の『はてしない物語』は、虚無がやってくるけれど、はたしてこの物語では何がやってくるのかー 自己決定権と、平和憲法を手に入れたい思いで本土復帰して50年、その祖国はなにをしてくれるものぞ。 「だからよ〜」 「なんでかね〜」 こんなことの繰り返し…。 50年という節目でなくとも心を寄せてもらうために、微力ながら僕らに何ができるだろう。 表現者というものは、自らを晒すことによって他人を照らしていくものだ。逆に言えば、晒すことでしか客席と繋がることはできない。 そんなことを考えながら、日々の稽古に通っている。 沖縄でモノづくりをさせてもらうようになって、幾年月、多くの出逢った方がいて、縁が繋がって初めて出来た『はてしない物語〜オキナワでゴドーをまちながら〜』
ホンを開いたところからはじまる、ネバーエンディングストーリー… どうぞ最後までお楽しみください。
不条理劇と不条理を描いた劇は大分ちがう。 どうせなら後者を紡ぎたいと思っている。
藤井ごう
2022年06月28日(火)
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