再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 エーシーオー沖縄『はてしない物語〜オキナワでゴドーを待ちながら〜』当日パンフ寄稿。

演出の戯言「オキナワ、ナニヲマツ」

田舎道。一本の木。夕暮れ。

そんなト書きから始まる『ゴドーを待ちながら』は、有名な「待っている二人」のお話だ。あ、演劇界で。ゴドーは果たしてやってくるのか? ゴドーは一体だれなのか? 「物語」と認識されず「何もおきない」不条理劇の最高傑作だなんて言われている。云々…そんなこと知らなくていいのです。演劇界で有名だなんてどうでもいいことだ。

とにかく大それて、オキナワでゴドーを待ってみることにした。そして、題はエンデの超有名作とおんなじである。だってこれは「物語」だから。

彼らは何を待ち、
何を求め、
何を手に入れようとしているのか、
しかも、オキナワという土地で。
手に入れられないのだとすると、どんな壁に阻まれているのだろう。
彼らがおかれている状況は多分、悲劇だ。
でも、人間というものは誰しも、それでも必死に生きて、アップで見るとものすごく悲劇だけれど、
引きの絵で観たら、すごい喜劇であったりする。
彼らも必死に生きている、明日を今日を、今を。
その姿が滑稽に映ってくれたらそれがいい。
本家の『はてしない物語』は、虚無がやってくるけれど、はたしてこの物語では何がやってくるのかー

自己決定権と、平和憲法を手に入れたい思いで本土復帰して50年、その祖国はなにをしてくれるものぞ。
「だからよ〜」
「なんでかね〜」
こんなことの繰り返し…。
50年という節目でなくとも心を寄せてもらうために、微力ながら僕らに何ができるだろう。
表現者というものは、自らを晒すことによって他人を照らしていくものだ。逆に言えば、晒すことでしか客席と繋がることはできない。
そんなことを考えながら、日々の稽古に通っている。

沖縄でモノづくりをさせてもらうようになって、幾年月、多くの出逢った方がいて、縁が繋がって初めて出来た『はてしない物語〜オキナワでゴドーをまちながら〜』

ホンを開いたところからはじまる、ネバーエンディングストーリー…
どうぞ最後までお楽しみください。

不条理劇と不条理を描いた劇は大分ちがう。
どうせなら後者を紡ぎたいと思っている。



藤井ごう

2022年06月28日(火)
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