スカーレットの心のつぶやき
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2003年05月14日(水) 安らかに

人は自分がこの世に生まれる時、何処へ生まれるかを
選べない。

同じように、死んでいくときにいつ?何処で?
どんな風に?死ぬのかもわかっていない。

わかっていないからこそ人は毎日、未来を見つめながら
今というこの一瞬を大切にしながら生きていけるのだ。

でも、死はどんな人にも必ず訪れる。

それが、病気でか?

事故か?

殺されるか?

老衰か?

病気にしても、何の病気でか?

それは分らないし、選ぶこともできない。

しかし、誰も自分が苦しむことなく安らかに死を迎えたいと
おもっているに違いない。

この頃よく「リビング・ウィル」という言葉を耳にする。

自分が尊厳死を迎えるための「生前遺書」のことだ。

普通、遺書は自分が死んだ後、遺族により明らかにされるものだが
この「リビング・ウィル」は自分がまだ命のあるときに
自分の死について希望や選択をすることができるように
書いておくものである。

自分が不治の病になったときそして末期になったとき、
無意味な延命措置を断り、
安らかな自然死を迎えたいと誰でも思う。

そういう「尊厳ある死」を自分で決定したいと
思う人のためのものだ。

「健やかに生きる権利を

安らかに死ぬ権利を自分自身で守るために...」

でも、この尊厳死は思うほど簡単ではないと
昨日の夜のNHKの番組で言っていた。

いくら患者本人が自らの意思で
尊厳死を望み、無駄な延命措置をして欲しくないと思い
この「リビング・ウィル」を書いていても
いざその時になって、家族反対で、
望むような措置が行われないことが多いそうである。

又医者を初め、患者に接しているスタッフの気持としては
患者自身の望むことであっても
尊厳死を実行させてあげることイコール
自分たちが患者さんの自殺幇助を
しているのではないかと思うからだ。

このように自分が自分の死を安らかに
迎えたいという気持はあっても
それが簡単ではないことがわかる。

私はもし自分がもういくら治療をしても
治らないということが明らかな時、

又、植物状態になったときは要らぬ延命装置は
はずして、自然な死を選びたい。

それが家族にとっては苦しいことかもしれないが
やはり本人の意思が一番大事だと思うからである。

只、望むことはもし苦痛があるときは
その苦痛をできる限り、最大限の措置により
なくして欲しいとである。

私は自分のことを一番知っているし分る。

神様の悪戯心で長生きをする可能性もあるけれど
こうして身障者になって、私の周りの
同じ病気の人たちを見ていると
普通の人と同じ寿命は望めないと思っている。

でも、死は怖くは無い。

いつかは迎えるものが少しだけ早く来たとしても
そのことを落ち着いて迎える自信はある。

でも、正直ところ、痛みだけはごめんだ。

だから、私も安らかに、自分らしい死に方をしたいと思う。

昨夜は夫に冗談めかして「私もリビング・ウィルを
書いておこうかな?」と話したけれど
本気で考えていることである。

安らかな、静かな死を迎えたいと思っている。


スカーレット