今回の中村紀洋の件を見ていると、阪神は獲らなくてよかったなと、つくづく思ったもんだ。 国内では阪神と讀賣の一騎討ちになり、MLBからも熱心なお誘いがあった、あの頃とは顔付きが変わってしまった。 不可解な交渉経緯の末に近鉄残留。 そして何を思ったかアメリカに渡って、鳴かず飛ばずで帰国して今に至る。 真実を知る由もないが、きっと彼は人間的にしっかりしていないんだと感じる。 FA交渉の際、彼が出してきた条件について、当時の星野監督が激怒したとも報じられている事からも、その事は十分推察される。
彼が初めて中央球界に名を知らしめたのは、全国高校野球選手権大会大阪府予選の決勝戦だった。 二年時に渋谷高校の4番打者として、上宮の宮田から二本の本塁打を放って、甲子園に出場した時だった。 元木が抜けたとはいえ、当時の上宮は、全国でも優勝候補の一角だった。 甲子園経験も十分なエース宮田から放った本塁打は、鮮烈の一言であった。 大阪において、甲子園常連の強豪私立校を決勝戦で劇的に下した公立校なんて、そうあるもんじゃない。 あの頃の彼は輝いていた。 そしてプロに入り、2001年に絶頂を迎えた。 優勝を手繰り寄せる、逆転サヨナラ本塁打を松坂から放ったのは、記憶に新しい。 それから5年で迎えた転落の人生。 細木数子から「あんたこんままじゃ死ぬよ」と言われていたが、今気持ちを入れ替えないと、本当に終わってしまうのではないだろうか。
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