2005年10月04日(火)
乳のすけすけルックが最新モードだとか、そういうのは除外されるの?
>引用 日本という国では男性のシンボル、女性の陰部を形とった木彫りが“神様”として祀られ、それを女性アナが撫でながら茶の間に紹介する。そればかりか、未成年者の売春が“援助交際”として堂々と行われているに至っては、これほど性に大らかな国は他にないようだ。ギリシャやローマが滅びる時にも「性の乱れ」が社会を覆ったが、「女の裸に羞恥心を感じなく社会は末世の兆し」といわれている。日本の末世がそこまで、きているようだ。 >ここまで 「NYから眺めたフジヤマ」byマイク・アキオステリス(日本通米国ジャーナリスト)(37) 世界で最も「性に大らかな国」 より
日本人が裸に羞恥心を感じなくなったのは、昨日や今日のはなしではないはずなんですけども。それじゃ、なんですか、ポンペイが火山噴火で埋まったのは男根崇拝だったからなのですか?
記事の前半はいいんだ。このごろ急増している性犯罪の話をわかりやすく取り上げてる記事で、まとめて読むと、由々しき状況だというのがよくわかる。日本だけの問題として見過ごすより、世界で同様の問題が起った場合の処罰と比較することは、とても意味がある。
が、ハダカが散乱してるから社会秩序が低下してるとするのは、どうなのでしょうか。
ギリシャ系アメリカ人っぽい名前の記者の方でしょうか。たぶん、自覚されてないと思うんですが、「ハダカでうろちょろするのは文化的に野蛮」っていうのが根底にあるんでしょう。で、女のハダカなんて、100年前ならそこいらじゅうにころがっていた日本ですから、いまさら滅ぶだとかいわれても困るんです。そうやって野蛮だということで、性が繁栄のシンボルだった文化を封印してきたのがヨーロッパの世界なんですが(むちゃくちゃ乱暴にまとめてます)、性犯罪は撲滅されたかといえば、全然そんなことはないわけで、世界はあいかわらず末世に向かっている。
エリザベス朝のイギリス、ちょうどピーター・パンが生まれたころ(実在じゃないから生まれてないというような揚げ足はとらないでね)、女性が足を見せるのはとってもハヅカシー行為だったらしい。くるぶしまであるスカートをひきづって、性的な存在であることがひた隠しにされていたってわけ。それでも、何故だか赤ん坊が生まれる。生まれるはずがないので、ピーターみたいに「なかったこと」にされる。「抑圧された衝動」なんてものが認められるのも、こういう徹底的な「抑圧」が存在したから。そんなステキな時代に、陰りはなかったのでしょうか(そんなはずねーよ)。フロイトはイギリス人じゃないけど。
ま、日本でもある意味、ハダカがころがってるのは庶民レベルだから、そういう下賎なやつは滅べという意見としてならいいのかな。ということは、貞操観念の向上は、繁殖力の低下につながると考えていいわけで(徳川家の歴代将軍とかね)、出生率だけを見れば、日本の貞操観念は向上しているといっていいわけでしょ?(あぁ、むちゃくちゃな話になってきてます)
ハリウッドのパーティドレスなんかで乳丸出し写真が平気で溢れているほうが、どうも居心地がわるいんですが、あれはファッションだから許容するというんならば、文化の違いの範囲のはず。少なくとも叶姉妹以外で、スケスケドレスの芸能人って、日本では非常に稀でしょ。日本での「性犯罪の量刑が諸外国に比べて軽い」ということと、「文化の違いの範囲で性表現に寛容」ということを関連づけるという記事の纏め方には、ひっかかるものを感じるわけです。そりゃまあ、無関係ではないとしても、もっと別の要因があるはず。
うーん。でもまあ、アメリカで高等教育を受けて記事を書くようなヒト(想像)って、こんなふうに考えてるんだー、というサンプルでもある。「文化の違い」なんだろう。『花園メリーゴーランド』とか、読んだらやっぱり野蛮だとか思われちゃうのだろうか。きっと読みゃしないだろうけど。
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