2002年12月06日(金)
仮に「あ」さんと「い」さんが会話をしているとしましょう。
「あ」さんはゲー術はリバースエンジニアリングできる部分があると考えている、のかな。で、「い」さんはエンジニアリングを使ってゲー術(アート)と呼ばれる活動をしている、のかな。
以下はその対談の主観的な超意訳(決してこんなことは書いてありません) あ:役に立たないものを作ってえらそーにアートだとかゆってんぢゃないよ オリジナリティが危機に瀕してるっぽい手法で、(ボクが到達し得ない)すんばらしいアートの世界に肉薄しようなんて、プンプン
い:ヤクにたたないことするのがアーチストの仕事ってゆうか、その〜、そんなに肩に力いれてかなくたってアートだしい〜
具体的には美術手帳に掲載された対談なのだそうです。URLを転記しようとしたらば美術手帳のページではなかったので自粛します。 まあ、おそろしく噛み合っていないというか、読むのがたいへんというか、これは毎月美術手帳を買って読んでるオベンキョウしてるひと以外立ち入り禁止区域の話なのかもしれません(偏見)。何でそんな至高聖所に(まちがって)たどりついてしまったかといえばぼけーっとリンクをたどっていたからなのですが、こうしていろいろ「(まちがって)たどりつく」から面白いのですが、おまえなんかに食べさせるすばらしいクリームパンはありませんって言われそうで困るのですが。
なんでそんなにアートはすばらしいのですか? なんでそんなに「アーチスト」として扱ってもらいたがるんですか?
「アート=オリジナル=絶対的価値=すばらしい 「アートを理解するワタシ=オリジナリティを備えたワタシ=すばらしい このようなループ思考を見せびらかしてくださる方もいました。アートな香をまとうことは何がしかの価値を持っているのですね。たぶん。
それでまあ、なんか作品とかがあって上記のようなおれってアーチストをかましてくれるのはホホエマシイ限りということで見なかったふりもできるのですが、特にケンチク周辺でそんな実例を目にするたびにどうしたらいいかと途方にくれてしまうのです。これはケンチクが実は微妙にアートではないってことでしょうか。
で、なんでそんなにアートは価値があるの? なんでアートでなかったら困るの?
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