短いのはお好き? DiaryINDEX|past|will
はじめは、個室のなかで誰かとケータイでしゃべっているのかと思った。 結構そういうやつっているから。 だからただ何気なく洩れ聞こえてくる男の声を聞いていたにすぎなかった。 ところが、おかしなことに気付いた。 男の声に混って女の声が、聞こえてくる。それは会話を成りたたせる言葉などで はないアー、とかイー、とかウーとか、さすがに?エー、はなかったけれども母 音系の湿ったいやらしい声だ。 その場にたまたま居合わせたおやじは、その喘ぎ声としか思えない声に俺の方を 見て、一瞬ニヤついた。 上の空で手を洗いながら、鏡のなかのおやじを窺う。 話かけてこい、おやじ、ボコボコにしてやる。 おやじは、Hな声で完全にフリーズしていた。気色ばんで動きを止め、耳をそば だてている。 その生生しさは、まさに生唾ものなのだろう。リーマンおやじは、ハァハァしな がら妄想で頭が爆発しそうなほどで、薄い板っぱり一枚の厚さすら透視出来得な い自分を呪っているのではないか、同じトイレという場所を共有しているにもか かわらず、個室とこちら側とでは、温度差がありすぎて天国と地獄といってしま いたいほどだ、きっとそんなふうに思ってるにちがいない。 おやじ、お誂え向きじゃん。そんなに逝きたいんなら俺が逝かせてやるよ。 しかし、やはりものごとには程度というものがあるわけで、その女の声はあまり にも常軌を逸していた。 聞こえるか聞こえないかくらいが、かえって想像力をかきたててエロ〜いってこ とになるのだろうけれど、この女の場合は、耳を聾さんばかりの大声で、それは 叫ぶとか吠えるというのが、一番相応しい表現かもしれない。 もうエロチシズムもへったくれもない。俺はもう吹き出しそうになるのをこらえ ているのがやっとで、おやじも苦笑いを浮かべてトイレから出ていってしまった 。 俺もおやじにつられるようにして、出口に向かう。もうこれ以上笑いを我慢でき そうになかった。 彼女の声はどんどんクレッシェンドしてゆく。既に人類の声であるとは思えない ほどの領域に近付きつつあった。いうならば怪鳥にロバを加えて隠し味的にマウ ンテンゴリラをまぶした、といったところか。 俺はトイレの外に出たところで、笑いを一気に爆発させ、腹がよじれるほど笑っ た。 笑いがおさまって一息つくと、向かい側の壁にある自販機の投入口に硬貨を落し 込んだ。 弾けるような笑い声に振り返えると、女子高生がふたり出てきて、片方が差し出 してみせたケータイ画面を見て、また爆笑した。 しゃがんで壁に背を付けミネラルウォーターを飲んだ。 遠くで断末魔のような女の絶叫が木霊している…。
|