母のタイムスリップ日記
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大きなイヴェントがひとつ終わった。 昨日の講演で「良かった。ほっとして初めて安心できた」といってくださった方がいた。今日も会場に見えて「ようやく見えてきました。何におびえていたかが判りました」と感謝された。 一口に介護というけれど介護だけで心が壊れるだけでないのだ。 周囲のこと 自分の健康の事 また老いていく先のの不安 家族関係...そういう要因が複雑に絡まって立ち往生してしまう。何でも話せる仲間がいても心の内までは話せない。
昨日は 講演を聴こうと会場に見えた訳ではなかったそうだ。 それでもふらふらと入って 気持がすっきりしたと話されていらした。 参加者が少ないと嘆くよりも「助かった」と思う方が1人でもいればそれで良いのだろう。 昨日は これまで知らなかった人が訪れてくれた。 何かを感じて帰られた。 これは 介護仲間の働きが大きい。 自分は 時々 とてもしんどくなって投げ出したくなることもあるが 自分の小さい器を自覚しながら「出来なくて当たり前なんだ」とおもいながら取り組んで行こうと思う。
ネットワークの仲間と「たった1人でも 苦しんでいる人がいるのならその人の為に会を存続していく」と話している。 地域の中で「会の存在を知らなかった」という人が今でもいるのだから。 世の中のため...になんて仰々しいことではないのだ。
イヴェントを作り上げる関わりの中で いろいろの方と出会う。 ちょっとずつ 会の存在を知って頂き連携を...といってくださる。 これも地域に根を下ろしていくために不可欠なこと。
昔の私なら「もうやめた」と逃げ出したくなるような場面にも出くわす。 けれど そういった個性を無理せずに受け止められるようになってきたなぁと思う。いい人という訳ではない。「それもありね」という感じ。 自分だって赦されて暮らしている訳で...。
活動していく上で ショートステイを使い 母に辛い思いをさせていることも自覚している。 でも 間接的ながら母も活動に貢献しているのだと思うのだ。 地域の介護者と其の当事者もまた貢献していると信じている。
あれれ 何だか今日は変だ。 イヴェントが済んで気持が昂ぶっているんだな。
溜まっている仕事がまだある。 ゆっくりという訳にも行かず 家人には迷惑のかけ通しだ。 「早く寝なさい」という言葉が 皮肉にも励ましにも響く。
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