母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2010年09月09日(木) 看取り後の介護者...

昨夜は 早起き夫が居ないので 目覚ましをいつもより30分早目にセットした。
いつもは ガタゴトの音で「起きたんだな」と察知して 次の目覚ましのなる前に起きられる。

夫はいつも笑う。
「あのねぇ 普通年を重ねると朝早く目覚めるものだけれど 貴女は若いのかなぁ」と。

自慢じゃないけれど 若い頃は目覚ましなんていらなかった。
周囲で「いくつ目覚ましがあっても足らない」と言っても「なんじゃそれは」と思ったものだ。
年を重ねていくに従ってずうずうしくなって来たのか 朝がすっかり弱くなってしまった。遅くまで起きているのは 若い頃から同じなんだけれど...。

今朝は 目覚ましが鳴って「起きなくちゃ」と思いながら3度目覚ましを止め時計を見てまた眠ってしまった。

結局 いつも通りの時間におきだして 洗濯機を廻して 母を起こして...。
何時も通りの介助。
母 前のめりがきつく 椅子に座しての着替えはいつもより手がかかった。
「調子悪いかな」と少し不安になった。
でも熱もないし 下痢もない。

おそるおそる食事介助。
いつも通りの食欲でちょっと安心。
母の眠りが起床時に深かったのかも知れない。
食事が済む頃には ニコニコ笑顔が戻ってきていてホッとした。

連絡帳を書いて 身支度を整えてデイに送りだした。
介護仲間から戴いた手芸の材料を手渡して喜んで貰った。
介護仲間に伝えなくちゃね♪

母を送り出して 急いで朝食。洗濯物を干して 町内のサロンへ駆け込んだ。MCIの方の所を訪問して誘ってみたが 今日は「眩暈がして危ないから行かない」といわれて今日は玉砕。
前フリが足りなかったかもしれない。
余裕がないと得てしてこんな結果となる。

サロン早抜けは 先に伝えていたので 30分ほど早く抜け出して家に戻り
次の場所へ向う準備。
お昼は 外で...と思って家を出たが 生憎昼休みの時間と重なり何処も満員。結局空いている蕎麦屋さんへ。
お腹に詰め込んだ後デパートに走った。
日傘が壊れて 古いのは日焼けしていてちょっとみすぼらしい。
朝の内は曇っていたので良かったが もうすっかり強い日差しとなった。
夏物の売れ残りの商品から 何の考えもなく選んで購入。

介護仲間と共に電車に乗り込み会場へ向った。
いつも滑り込みだが今日は余裕で到着できた。
本来の話は後回しにして イヴェントの話を検討。

この話が終わる前に会場を後にする事になる。
デイの送りにぎりぎりの時間。
家に着いて5分もしないうちに母が帰ってきた。
今日は 戻るのは遅れなかったのでホッ。

水分補給・トイレ誘導で「大」「小」排出。
それからゆっくりと夕食介助。

母の食事が済んで休息中に夫が帰ってきた。
まだ自分達の食事の支度が出来ていない。
急いで あり合わせの物を並べて 夫晩酌開始。
昨日のお通夜の様子を母と一緒に聞いた。
母もニコニコして聞いていた。
一時間ほどして 眠そうになった母を終身支度をしてベッドへ移動。

それから食事の準備。
夫の話を聞きながら食事。
食後「電話をする...」と夫。
葬儀のあった従姉妹の家だった。
「貴女も出なさい」と。
暫く 亡くなった経過を伺った。
在宅で訪問看護を受けながら過していたが 介護者が転倒して大怪我をして入院したため 仕方なく介護の場所を病院へ移したそうだ。
暫くして安定したので お父様を別の病院に転院。
その後休息に状態が悪化したそうだ。
其の事を悔いていて...「家に置いておけば良かった」と。

従姉妹の年齢は 夫と同じ。世代的に大きな差はない。
でも独身。
精一杯の事はなさったとおもうのだが 此方が慰めても何の益もない。
優しいおじさんのお話をして 私達にも優しくして下さり感謝していると伝えた。

そういえば サロンに見えた方も在宅から施設に移され 数ヶ月しないのに亡くなってしまったというお話も伺った。
此方は 老健と同系列の医療施設といったりきたりした挙句のことだった。
この方も90歳を越えている方だった。
それも認知症は極々最近出現し それ以前はお元気な方だった。
病院のこと 施設のこと等個人的にあれこれ相談を受けていた。

亡くなってしまうと残された者は 遡って悩まれる方が多い。
たとえ 亡くなられた方が90歳を越える高齢者であっても...。
喪失感が癒されるまでには 時間が必要である。

従姉妹は 病院から喪主をつとめるために外出し また病院に戻ると聞いた。杖を突いてお役目を果たされたようだった。


はな |MAILHomePage

My追加