母のタイムスリップ日記
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後天的に失明なさって 軽い認知症の方が入所なさった。 おしゃべりが好きな方である。 自分の好きなように出来ないと存在を示すかのようなことをなさる。 壁を叩いてみたり 手を打ってみたり お〜いと声を上げたり...。 時に認知症の重い方のことをよく判らなくて説教したり...もある。 でも それは 病ゆえのことだし 入所したての不安感からという事もある。だから そこは 受け止めるようにしなくてはならないなと思っていた。
人に向ける言葉は ちょっと乱暴。 でもとても優しい心もある。
母の食事の時間は かなり長いし「口を開けて」「よく噛んで」といっていると「こりゃ さっさと食え」と言ったり...。 でも これも見えないことや病の無理解だろうから仕方ないと思っていた。 今日も結構長くかかり あれこれ質問された。 だから「チャチャッと飲み込むと噎せてしまうから 無理はさせられないのよ」とかを何回か説明していると事情が飲み込めてそれ以上は言わなくなった。母が93歳という事も伝えたことも影響しているかもしれない。 私のことを職員と間違うので「〇ちゃんの娘なのよ」と伝えて理解を求めたら 少し飲み込めたようだ。 でも 時間を経過すればまた忘れてしまうかもしれない。
迷惑だなんて思っていない。 母が困るなら 慣れるまではこちらが居室で食事すれば良いだけの事だ。
この方 足音や声の調子でよく判断できる。 うるさいけれど それでもおしゃべりできるって事を羨ましく思うし できるかぎりそうやっておしゃべりしていて欲しいと思う。
声の調子で職員の名前を覚えようとしているので 状況の許す限り職員の名前を教えていた。 これがまた 特徴を良く捉えて覚えていられるのである。 職員の名前を覚えられたら不安感も大分薄れるだろうとも思った。
がある職員から「職員の名前を教えないで下さい。後で混乱して困ります」と止めれた。 心に思うことはあるけれど それからは名前を出さないようにした。
これって 私はとても苦しいこと。 昨日も 食後ベットに戻りたがっていた。でも ベットにもぐりこむ事は身体に良くないだろうとおしゃべりのお相手をしていた。 時には「おれの部屋何処だ?」と聞かれた。 自分で車椅子の操作が出来るので一人で居室に入ることも出来る。 ところが 視力が非常に弱いのでドアや他の車椅子の人にぶつかったりもして危ない。 だから ちょこっと嘘を言って「ここは玄関だからあんまり動くと危ないよ」と言ったりした。言いながら 凄い後ろめたさを感じてた。
聞かれても名前を教えずとぼけるのも同じこと...。
もし 私がそうされたら嫌だからである。 名前も知らない人にお世話されるってどうなんだろうね。
こういう接し方をする施設って 私はお初。 たとえ認知症であっても自らの名前を幾度でも言ってくれる人たちばかりだった。人として当たり前のことだろうと思う。
施設の方針なのか あるいは個人的見解なのかを問いただそうと思ったがやめた。毎日のように出かける家族の私はうるさい存在なんだろうと自覚している。様々な場面で そういうことを感じる事があるから...。 自分の家族でもないし...と情けない考えだ。
夕刻前に施設を後にした。 家に戻って菜園へ出かけた。 放置している菜園を次の準備へと心配してくださる方がいるから。 そうでなくとも 早くしなくちゃと思っていたので...。
菜園に着いたら いつも見かける方が そばにやってきて「これ片付けていいのか」と聞いてせっせこ片付け始めた。 聞くと いつも気になっていたようだった。 「よく来ていたお母さんは元気か?」とも聞かれた。 きっと介護していることも知っていて気に掛けてくれたのだろう。 名前も知らない人である。
その後介護仲間が見えて「明日 片付けてあげるから無理しないで...。何処を耕して何を植えるか。。?」と。
あり難くもあり情けなくもある。 でも 明日は施設の行事があるし月曜日には別の用事もある...。
夕食の支度を済ませてひとり食事したのは9時少し前。 お昼も抜いていた。 食後溜まったメールを読んで返信。 その後パソコンの作業。 これが 不慣れで失敗ばかり。 今日は 諦めて...と万歳したのが午前零時過ぎとなる。 それから キッチンを片付けて...。 さぁ 今日はこれまで。
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