母のタイムスリップ日記
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2008年01月25日(金) 切なかった!!


午前中に自転車を飛ばして 母の所に出かけた。
風の冷たいこと。

母は トイレ誘導が終わったばかりだった。
私をじっと見たが 直ぐ視線を外した。
マスクを外すと「あ〜」と言う感じだった。

まだ 黄色信号点滅の様子で居室で蟄居状態。
おそらく 寂しさもピーク。
歩行が足りてないので腰も重い。
手を引いて ホールを2周した。
バランスを取りにくくなって不安そうで 両手で掴まる。
やはり 蟄居の生活は 身体全体に影響を及ぼすみたいだ。

ギュッと抱きしめるときつくしがみついてなかなか離れようとしなかった。
足の屈伸を立ったままやってみた。気持ち足を曲げた。
次に片足ずつ 順番に上げてみた。
最初は 床から1.2センチ上げる程度だったが 繰り返しているうちに10センチ位上がるようになった。
言われている事は理解できている。

椅子に座ってもらって ちょっと離れると姿を追って立ち上がった。
立てるようになったと知り 幾度か意識的に離れてみた。
これも 良いリハビリになる。

トイレ誘導したら 排泄があった。
4日目と言うので ちょっと頑張って貰った。
トイレで排泄し終わった時「ありがとう。良く頑張ったね」と言ったら 母は目をウルウルとさせた。
話しかけてくれる人も少ないので 話しただけで嬉しいのだろう。
そんな感触だった。

そうそう トイレでハプニングが起きた。
母をトイレに誘導後 居室の戸が空いていることに気付いて 慌てて戸を閉めた時うっかり自分の指を挟んでしまった。
とても痛そうな顔をしたのだろう 母が「どうしたの?」と聞いてから直ぐに「私がやったんだね」と半べそをかいてしまったのだ。
「違う 自分のせいなの」と説明したけれど 言葉は容易に通じなくて…。
そして思った。
母の心の中には「世話になっている」「迷惑をかけている」と言う思いがいつもあるのだなぁ〜と。切なかった。

その内に昼食となり 介助。
私はおにぎりとお茶を持参。食べながら母の介助。
大きな口を開けて食べる私をみて その度に「あはは」と笑っていた。
食欲もあり元気。

食後は 爪切りと消毒とお掃除。
爪切りを嫌がる事はなかった。ひところ 爪切りを嫌がってよく手を引っ込めていたのだので ホッとした。

居室とホールを順繰りにした。
ホールの掃除の時は ソファーに座ってもらった。
ホールにいると落ち着いて座っており不安そうな表情はなかった。
入所者と出逢ったら「どなただっけ?」と聞いてきた。
毎日 同じ施設に暮らしていても蟄居の日々で直ぐに思い出せないのだろうなぁ〜。

今日は時間と睨めっこ。
夫が同業者さんの新年会に出かけるため家に戻るのだ。
一応 準備はしてきたのだが きっとお風呂にも入るのだろうし…。
職員に伝えてそうっと施設を後にした。

職員は「はなさんらしい」と言う。
でも 長年そうやってきているので どうしようもない。
自分がかまいすぎた結果なのだからなぁ〜。
考えれば 父は自分の事は全て自分でやっていたのだ。

家に戻ると夫が戻ってきてた。
お茶を入れておにぎりを作り 軽くお腹を満たしてもらい 入浴 着替え。
そして 夫を見送った。

片づけをして雨戸を閉めて 今度は私の用事のために外出。
娘の中学時代のPTAの仲間が転出するという事で送別会。
仕事している人もいるので 少し遅い時間だった。

ワイワイと飲んだり食べたりした。
噂話はご法度。
おばあちゃんになっている人もいる。今年は おばあちゃんじゃない仲間がいるし 2人目と言う方もいて 孫の話に集中する事はなかった。
でも ご主人を亡くされている方も2人いらして 一人暮らしで会話がないという話も聞かせて戴いた。
家族と言っても3人だけれど 我が家はまだまだ賑やかなのだと感じた。
結構長い時間 おしゃべりして 最後は珈琲ショップに立ち寄って皆と別れた。

まだ 夫も帰宅していなくて 娘は 従兄弟会。
姪っ子が 2月にロスに戻るので其の前に姪っ子だけで集まるという事で 仕事が済んでから出かけている筈。


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