母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2007年09月08日(土) 思い出したこと


 時折 認知症初期から中期にかけての家族が綴る介護の記録を読ませて貰っている。
そうすると 母の初期の頃の事を思い出す。

母の出来る事を模索した日々の事を。
もう15.6年前の事だが 何を食べたかを記録して貰ったこと。
何処に出かけたかを記録してもらったこと。
記録する時には 「こんな事あったね」「あれが美味しかったね」等おしゃべりしながら...。
でも長く続けられなかった。
母自身思い出せないことが辛そうだったこともあるが 何よりいつも優しく聞き出せる訳ではなかったから。
今も余白の多い記録したノートが残っている。

子供の使った玩具で遊んで貰った事もある。
プラスチックの薄い箱の中に仁丹くらいの玉が入っていて 横に降りながら溝に入れるというゲーム。
音の記憶に沿ってボタンを押すコンピューターゲーム機。
輪投げ。お手玉。
でも玩具の類はあまり長く続けられなかった。
母に遊んでいると言う意識があった事も有るが 1人で楽しめる事はなかったのだ。
子供なら 時折一緒に取り組んで後は1人で楽しめてくる物だが...母の場合は ずっと一緒に楽しまないと無理だったのだったのだ。

母が1人で長く熱中できたのは 縫い物と編み物と折紙。
おそらく母にとって役に立てる仕事だったのだ。
判らなくなるとため息をつくので居間とキッチンの距離なら様子が良く見えた。これは お嫁さんたちも重宝して御願いしていたようで 数え切れないほどの作品を仕上げた。
この頃 母はこれを売って生計を立てられないとか本気で考えていた節がある。事実 バザーに 無償でかなりの物を出展した。

デイケアやデイサービスでも 生活関連の手作業はかなり積極的に取り組んでいた様子だった。

あの時期は 落ち着いていれば 2.3時間は そういった作業に集中できていた。

それでも 私がキッチンに立つ時間になると「お手伝い出来る事はないですか?」と必ず聞きにやってきた。
そういう時には 母に出来る仕事を頼む事にしていた。
一緒にキッチンに立っていると「楽しい」と言っていた。
調理全部を任せる事は無理だった。

こう書くと読んで下さっている方は 和やかな場面を想像するかも知れないが そうではない。
1人で母に向き合っていると煮詰まったり 疲れたり...イライラしたりの日々だった。
母もこちらの重荷を感じ取り「迷惑をかけている」と思って感情の起伏が大きく変動していた。
家にいる時は 私の視野に入る所にいつも母がいた。

まだ いろんな事が出来て いろんな思いを有る程度 言葉で言えた時期のお話である。


はな |MAILHomePage

My追加