母のタイムスリップ日記
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| 2007年03月07日(水) |
どう伝えようかなぁ〜 |
午前中 利用者さん訪問。 最初に依頼を受けた時は 午後の時間帯だった。 水曜日は母のリハビリの日で せっかく出かけても早々に戻るのは忍びなかった。 利用者さんに都合を伺うと 午前中でも大丈夫という事で 切り替えて頂く。 しかし 訪問してその日の活動が延長希望になるのと困るので 気持ち早めに訪問させて貰っている。
今日 訪問したら 居間の電気が珍しく点いていた。 そして ほんわりと暖かい。 ご主人が 高血圧症なので一晩中暖房をつけているという事だった。
既に 暖房は切ってあると話されていたが 作業を始めると汗ばんでくる。 途中 掃除機が急に止まり動かなくなった。 別の利用者さん宅でも 掃除機が止まって ブレカーが落ちていた事があり「今回もそうかな?」と思いブレカーのある場所を伺った。 しかし 電気のスイッチを入れたほうが早いと思って スイッチオンにするとちゃんと電燈が点いた。 という事は 掃除機が壊れたという事だ。 いやはや この所 掃除機が壊れるなぁ〜。 私の扱いが悪いかと思ってしまう。 でも 普通だしなぁ〜。
新規の掃除機があるという事で そちらで掃除を続行。 洗濯も終了。床の拭き掃除も終了。 その後 洗髪。 前回 ご自分で洗髪なさったが よく洗いきれなかった様子だったので 今日は洗髪して差し上げる。椅子に座って洗面台で。 洗髪後 洗濯物を干した。 その後 流し台に残っていた洗物を済ませた。
1時間で終了。 「じゃ 今日はここまでという事で…」とご挨拶すると「あなたは 早く来てくださったのだから あと少し居てくださって時間を30分超過にしてください」とご夫婦が口を揃えて言われた。 「他に 頼みたいご用がありますか?」と伺うと「別にもうない」と言われた。 「頼まれた仕事が終わったのでしたら こちらに気を使わなくとも大丈夫ですよ。これから 母のリハビリがあるので 早く行った方が良いのです」と言うと 納得してくださった。
テクテク歩いて駅に向かいバスに乗って母のところへ。 施設の昼食は もう終わりかけていた。 母は 半分程度残っていたので半分介助して終了。
時計を見れば リハビリの予定まで3.40分あるので ホールに掃除機を掛けた。 ついでに 希望する方の居室にも掃除機をかけ 最後に母の居室を。
それから トイレ誘導しリハビリの準備をして待った。 リハビリ終了後 散歩に出た。 排便が数日ないという事だった。今 アロエエキスを休んでいる。 今日は歩く事と水分摂取とヨーグルトを食べてもらう。
更に歩いている時 歌を唄ってあげたら「大事な人が 歌っている」と言う。 「大事な人って私?」と聞くとコックリ頷いた。 「ありがとう。〇ちゃんも 私の大事な人よ♪」と言うとまた頷いていた。
外手中も施設に戻ってからも ちょっとずつ排便があった。 母も「抜けるよ」「落ちるよ」とかの言葉を発するので きっと排泄したいのだろうと感じた。幾度かチャレンジしたが それ以上は無理だった。
職員に夕食後 ミルクを御願いして 今日は帰宅。
夜 母の友人のお嬢さんから電話があった。 「先生 お変わりありませんか?」と「変わらず元気にしております」と伝えると「守られてお出でなのですね」と喜んでくださった。 受話器を置いてから ふるさとに住むもう一人の母の友人から 今年の年賀状の返信がない事を思い出した。 電話を掛けなおして消息を伺ってみた。 別ルートでも 聞いて貰っているのだが まだ 連絡がないのだ。
「それとなく ご家族に聞いて見ます」と言ってくださった。 直ぐに折り返しの電話があり「昨年9月に亡くなったそうです」と言う知らせだった。
この3人組は 女学校時代に志を同じ同士である夢を育てていた。 夢は半分は叶ったのだ。 結婚しても仕事を続けて 若い頃は 3人ともお姑さまに逆らえなくて 苦しみを語り合って乗り越えてきたと聞いている。 私が子供だった頃の事で そういう話の時は追い払われていた。 でも聞いていけない話をしている事だけは 何となく感じていたものだ。
3人は同じ職業について お互いに学びあい 退職少し前からは「ふりみす会」(古いミス)を作り 仲間を広げて年数回温泉に出かけていた。 母が1番年上で 母が一番先に病になったのに 母だけが生き残っている。 昨年亡くなったという方は 母の病を知ってからも必ず1番に年賀状を下さっていた。 それも しっかりした文字で…。
母に どう伝えようかと思う。 亡くなった事を伝えても意味がないような気がして…その方の思い出を語って哀悼の意思としようと思う。
ふりみす会に出かける時の母は 楽しそうだった。 いつも電話で 楽しかった話をしてくれていた。 母の記憶の中に その時代は記録されているだろうか? きっと 女学校の記憶なら ボンヤリと残っているかも…。 でも それももう怪しげなんだけれど…。仕方ないよね。
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