母のタイムスリップ日記
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早朝 排尿で目覚めた母。 起してトイレ誘導。足が痛いと訴えた。 もう 母の限界を越えて歩いたり階段を上ったり下りたり…なのだ。 昨日も中国土産の白花油を足に付けたが 今日は更にふくらはぎにもしっかりつけた。 布団に寝かせるよりは…とリビングのソファーに座らせると眠たそうに横になった。タオルケットをかけて 隣で夫にこちらの様子の報告メールを打ち 新聞を読み帰りの荷物の整理をした。
ふるさとに戻った時は 足の浮腫みが強く出て 水分摂取と足のマッサージを繰り返した。 おかげで 浮腫みも緩和され一息つけた。 岐路の乗り換え大丈夫かと不安になる。 終電まではかなりの時間が有るし 最悪駄目だったら娘に電話して車で迎えに来てもらおうと決めた。
朝食後 母に着替えてもらい教会に行く支度をした。 幸い 末弟が送ってくれる。 支度していると長男がやってきて末弟に仕事を頼んでいた。
長男とは 昨日 法事帰りに別れたきりだ。 母に労いの言葉もかけていない。 一昨日の晩ちょこっと立ち寄り 昨日もお寺で法要を営む間とお食事の時間だけは一緒だったが 母の介助をする訳でなかった。 そもそも 法事に母を参列する事等頭になかったのだ。
何故 私が母を引き取っていたかと言う現実を改めて知ることとなった。 母を無視している訳ではないし 怒っている訳ではないのは分る。 でも いとおしい存在でもないのだ。
話が逸れてしまったが…。 長男が来た時に 離婚届を出していない事に伝えて これだけは兄弟の揃っている時にきちんとしておきましょうと伝えた。 話し合いの結果 離婚届が出されて長男が届ける事になった。 これで 5月以来からの離婚がようやく成立する事になった。 これからの事は 嫁さんが自分で動いてどうしても出来ない事があったら 具体的に「ここが困る」と伝えて ご実家なりまたは私の所に相談して欲しいと伝えた。 こうする事が 彼女の為に1番よい事だと思うのだ。
母の前で話す事はためらいも有ったが 母は聴こえてないかのようにじっと目を瞑って座っていた。 末弟が仕事に出て教会に行く時には戻ってきてくれた。
教会で礼拝を守り 久しぶりの来訪者数人が紹介された。 母の事を伝えた時 みんなが「お〜っと振り返った」 礼拝が済むとそれぞれ 寄って来てくださった。 とても懐かしい方々だった。 皆 手を取り「〇さん お元気でよく来てくださいました。嬉しいです」と握手。母はじっと見つめてからポロポロ涙を零した。 同僚の方や教え子のお母様 古くからの教会員 おそらく20名を越える方が次々と母の傍にきて握手。 母の涙は止まらなくなり 傍にいる人も貰い涙。 ふるさとに帰って2番目に熱くなった日となった。 午後敬老のお祝いがあるのだが そこには参加できない旨を告げると名残惜しそうに母の周りに人だかりができた。 ふるさとを離れて暮らす母に思い出して貰おうとして写真を見せたり 思い出を話しても母の記憶はもう霧の中で思い出す事はなかった。 けれど こうして皆さんの熱く優しい思いや声そして温もりで 母の記憶は甦ったのだ。 どうやって感謝してよいやら…こちらも涙が零れるばかりだった。 勿論 母は言葉は出ない。 言葉なんかなくても思いは伝わるものだと感じ入った。
時間がきて 弟が迎えに来てくれ駅まで送ってくれた。 他に家族の見送りはない。
家族の中で唯一母の手をとってあれこれしてくれたのは末弟のみ。 もともとそういう事は1番手がけてくれる弟だった。
母と二人新幹線に乗り込んで「良かったね」と言うと母は深く頷いた。 未だ 教会での再会の場面は記憶にあるようだった。
新幹線を降りてから障害者用のトイレを探したが見当たらなかった。 ほんとに障害者用のトイレ探しは苦労の連続。
この電車にさえ乗れば 我が家のある駅まで行けると言う所まできて 母のストライキ。 新幹線の車内は暑く 冷たい珈琲を購入したけれどひっくり返してしまうと言うアクシデントが起きて 母は疲労と暑さと足の痛みで限界。 構内にあるお店に入って アイスクリームを食べさせた。 満足げな表情になった母をみて一安心。 休息を取って ようやく最後の電車に乗り込んだ。
駅に娘が迎えに来てくれて施設に向かい 施設の下にある割烹で母の夕食を頼んだ。冷たく冷やしたトマト お豆腐 そしてお寿司。 施設に戻ると母もホッとした様子。
着替えさせて トイレを済ませて洗面歯磨きをして 施設を後にした。 ふるさとへの旅もこれでようやく終了。
娘が夕食を作ってくれており 冷たいお茶まで準備してくれていてありがたかった。
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