母のタイムスリップ日記
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2006年06月11日(日) 少し辛かった?


明日から展示する家族会の展示の下準備に午前中動く。
午後 母の所に行く。
母はソファーに座っており 全体的にくつろいでいた。
しかし 母の表情は 笑顔全開ではなかった。

今日は 諺と慣用句の書いてあるワークを持って出かけた。
母も1.2年前までは このワークで遊んだ。
今はかなり難しい。
それでも ゆっくり対応すれば引き出せる諺や慣用句は残っているのだが…。

このワークは ○さんに使って貰えればと思ったのだ。
ちょっと読み上げるだけで すらすらと続けられる○さん。
1人で話しの中に取り入れる事は出来ても 句だけを言うのは結構大変そうだった。

母もそうだった。
1人でワークに取り組んで行くまでは出来ないのだ。
傍で読み上げてあげれば 続けて言ったりできるし 文字も埋められる。
ちょっとの助けがあれば 十分楽しめるのだ。
○さんは 未だそういう力が十分に残っていると感じたし そういう事がお好きなのだ。

お手伝いしている時は 楽しそうに「貴女 よく判るわね」と言われた。
「いえ私は見て読んでいますから ○さんには敵いません」と言うと
「それだけ 言えればできるという事ですよ」と言われた。
母も思い出しながら言うのだった。

「負けるが勝ち」という時の事。
「負けたら 負けよね。勝たなくちゃ。これは負けた時に庇う言葉よね」と○さんは 言われた。
「そうですか?私は 兄弟げんかの時や友達との喧嘩の時に この母に良く言われましたよ」
「そうね 喧嘩の時は 確かに…。貴女のお母様 良きお母さんですね」と。

こういう会話…聞いていて認知症の人の発言と思えますか?
母も初期の頃は実際こうだった。

しかし 認知症の症状ははっきりとあるのだ。
○さんの場合は入浴。○さんの入浴は未だ実現していない。
エレベーター点検中と言う貼り紙は未だ効力を発揮中だ。
○さんの見ている前で エレベーターに乗り込んだが ○さんはエレベーターが動く事に不思議を感じない。
「出たいと思った時なら ひょっとしたらあれれ」と思うかも知れないが。

時間の流れも今ひとつである。
でも時計は未だ読める。
母も入所して暫くは 時計が読めていたのだが…今は 読める確立はかなり低くなっている。

おやつの後「片付けならお手伝い出来るわ」と自分から言っていた。

母を散歩に連れ出した。
長袖ブラウスにカーディガンを羽織って 七部の下ズボンを着用させたのだが「寒い」と言ってしがみつきながら歩いた。
出て直ぐは「帰る」と言っていたけれど 暫くすると「もっと歩く」に変化して 1キロ位お散歩。
歌を唄ったけれど メロディ程に歌詞がついて来なかった。
何処か浮かない様子。
「調子が悪い?」「お腹?」「頭?」と聞くが「何処も痛くない」と言う。
「そろそろ帰る?」と聞くと「帰る」と言うので施設に戻った。

洗髪の替わりにヘアトニックでドライシャンプー。
その時○さんが見えた。
「○さんもしませんか 気持ちよいですよ」と声をかけると…。
「昨日 風邪を引いたので 大事を取って今日は遠慮します。でも気持ちよいのよね」と答えられた。
それでも 母の部屋の櫛を使って 綺麗に梳かされていらした。

母をホールに連れて行きソファーに座る。
違うフロアから入所者が見えていた。
先日 きゃっきゃっとボール遊びをした方である。
私を覚えてくれていたようで「この間は…」とニコリと笑顔を下さった。
これまで とても難しい顔をなさっていたのに…良い表情だと感じた。
入所なさって未だ日が浅い方である。
持ち込んだワークで遊んでみた。
この方も達者だった。やっぱり楽しそうである。
母も一緒に始めようとしたら 母はとても浮かない顔をしハッとした。

母は出来ないと判るから嫌なんだ。
そう感じて母を巻き込まないで その方とワークをして遊んだ。
「こういうのって ほんとみたいで おかしいのよね」とその方はニコニコなさっておいでだった。
あまり長くすると隣の母のお天気が悪くなりそうな気配なので通りいっぺんだけ読んで終了した。
母がわかる時にこのメンバーだったら きっと楽しめたんだろうなと思った。

母のトイレ誘導を済ませて 施設を後にした。
誘導の成功率は100パーセントだった。
訪問して直ぐは既に汚れてしまった後だったのだが…。


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