母のタイムスリップ日記
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2005年02月22日(火)  「幸せですか?」

 
母の所に出向くと 母はトイレ誘導中だった。
居室から出てくるとニコニコとしていた。
職員の話しによると 昨日は排便がなかったという。
特に苦しそうな顔もしていないので比較的調子がよくお腹の調子も悪くないのだと感じた。

今日は 便検査の容器を届けながら尿検査も受け できれば眼科も通院できればいいかなと思っていた。
かかりつけ医が同じビル内にある眼科を勧めてくれていたからである。

施設を出る前にタップりと水分を摂取して貰った。
職員に排尿の量を聞くと少しのみでした。パンツも濡れていませんでしたと報告を受けた。

バスを乗り継ぎ出かけた。
バスの中では しきりに独り言が続いた。
それでも 罵声を浴びせる訳でなく目に付いた看板を読み込むくらいなので
「そうだね」と相槌を打っているくらいで間に合った。
バスを降りる時「私の分は?」と聞いてきた。
この所 料金の事が急に気になってきているようである。。
「はい ちゃんとパスが有るからね」というと安心して下りた。
しかしバスの乗り降りはかなり危なげ。。。ちゃんと手を貸してあげないと転等しそうである。

そういえば 今日。。。
「○○さん(苗字)ですか?」と聞くと「そうですよ」と言う。
「△△さん(旧姓)でないのですか?」と聞くと「はい違います。○○です」と言うのだった。
いつもと逆パターンである。
いつも旧姓を言い切っているのに…。
少し興味が出て「××さんは(父の名)何処ですか?」と聞いてみた。
すると「あ〜家に居るよ」「××さんは あなたの大切な人ですか?」と聞くと「そうだ」と応えてくれた。
へへぇ〜。こんな風に返答できる事も有るのだと驚いた。
病になって以来 父の名にあまり興味を示さなかったし旧姓のほうに執着するだけだったのになぁ〜。

こんな会話はものの数分でまた霧の中に舞い戻ってしまったけれど…。

それでも外に出て歩いている時に「幸せですか?」と聞いてみた。
すると間を置かずに「幸せです。。」と言った。
再度「不幸せという事はないのですか?」と聞いてみた。
「幸せですよ。不幸せという事は無いですよ。ありがたいことです」と返答してきた。
母の言葉に我が心が満たされた。
実際はどうなのか…知る由もないけれど…ひょっとして我が思いを満たすための誘導尋問をしてしまったかなと少し悔いた。

それでも 今日の母は状況を理解できたと思う。
相変わらず尿を採取するのに1時間トイレに篭った。
30分を過ぎた頃「あなたも足が疲れるね」と労をねぎらう言葉が出た。
先日のように泣かせる事は避けたいと思って「実は 尿検査なんですよ。やりますか?辞めますか?」と聞いてみた。
母はじっと考え「した方がいいですね」と返答。
其処を幾度も確認しながら篭り続けた。
少し頑張って貰ったらスルリと排便。母にも感覚が有るようで視線を合わせてきた。
排尿は 一時間ほどしてようやくほんの僅か出た。
検査可能の量だったのでそこで終了。
思わず母の頭を撫でた。
母もニッコリとしていた。途中「出ないねぇ〜」とか「出そうだよ」とかと随分振り回されたけれど…。母なりに必死だったのだろう。
いえ 母が排尿のため一時間連続で努力した訳ではないのです。
天井を眺めたり壁を眺めたり…小さな個室で遊びながら…です。
その間にトイレには何人もの人が出入りしている気配があった。
きっと「何事だろう。。?」と思われた人も多かったと思う。。

眼科は火曜日が休診日で今日は診察できなかった。
でも「目が痛い」と今日も訴えました。左目と判ったのでそれはそれで良かった。病ゆえに 聞き取りは単発・瞬間で判断するしかないのだから。。。
体調を掴むのが だんだん難しくなってきている。。
これは ほんとに困ってしまうなぁ〜。

新聞で死亡と判断された方が霊安室で息を吹き返したと言う記事を目にした。
アメリカではずっと言葉を失ったままいた方が言葉を復活させた…。
そんな記事に目を運びながら そういう奇跡が起きてくれないかなぁ〜なんて漠然と思った。
以前 介護仲間がそういう奇跡が起きないとも限らない…と言っていた事を思い出した。


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