母のタイムスリップ日記
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2004年09月07日(火) 家族の会


 今日は 痴呆性の介護をする家族の会だった。
毎月第一火曜が家族の会なのだ。
「みんな元気に集っていらっしゃるかなぁ〜」「何事もなく過ごされたかなぁ〜」と少しドキドキする。

集った仲間の顔に出会うと本当にほっとする。
今日は 保健所の保健士さんも寄ってくださった。
今年 完全に保健所の手を離れての自主グループとなった。
それでも 地域の支援センターや精神病院のケースワーカーさんや保健士さん 精神科医みんないつも心にかけてくださっている。

別の所で出会っても「皆さん お元気ですか?」「困っていませんか?」と声を掛けてくださる。
こういう存在は ほんとにありがたい。
現場を知っている方からのバックアップは心強く こういう時この町は満更でもない気持ちになる。

痴呆介護で大切なのは 介護者も介護を受ける当事者も閉じこもらないで地域に溶け込むだと思う。

今日は 久々に10名の方が集ったので 自己紹介を兼ねて毎日の暮らしぶりをお話戴いた。
この中には 男性が2名いらっしゃる。お二人とも奥様を介護なさっておられる。他にご主人を介護なさる方。お母様を介護なさる方。お義母様を介護なさる方と様々である。
軽度の介護もあれば 中度の介護の方も重い介護をなさっておられる方と様々である。

今日の話題の中で「そうなんだなぁ〜」と記憶にしっかり残ったお話が2つある。
痴呆症と診断される過程が医師によって変わってしまうと家族が迷ってしまうという事。そうでなくとも個々に違う過程で進み判りにくい病の進行がますます見えにくい物となり家族が予測すら立てられないと言う状況になってしまうという事でる。

お話を聞いていると母の病が混合型(最初は多発性脳梗塞と診断された母もP病の気も有るといわれた)痴呆であり 加えて高齢になってからの発症で比較的楽に介護できたんだなぁ〜と感じた。
いや 大変な時もあったけれど…医師の予測通りゆっくりとした進行だったということである。
利用者さんが「ラッキーだったんです」と言う言葉を良く使われるのだが…母の場合 まさにラッキーだったのかも知れないと感じた。

もうひとつは いつもは あまり話題に上らないのだが…家族とのトラブルである。
介護そのものは 対症療法で解決できるけれど…家族とのトラブルはストレスが溜まって関係も悪化してしまう。
家族関係が破綻してしまってしこりが残ると言うお話となった。
これが 何より辛いという事だった。
これは 親の介護に共通する悩みであった。

また 親を介護する場合 夫の親であれ妻の親であれ 夫があまり介護に関らない事の不満と言うのも有った。
弟が「仕事に出たら どうしたって自分では見られなくなって妻に任す部分が増える」と言い訳していた事を思い出した。
勿論 判らないでもない。
「自分の親なのだから せめて看られる時位しっかりみなさい」と言った覚えがある。

私の場合 自分の親なので夫に頼る事は出来る限りしていないが…。
でも 正直に書くなら…せめて話を聞いたり ちょこっとした事で進んで関って欲しい…と思う。
いや夫だって 以前母と二人遠出してくれた事もあったし 週末には 3人でお散歩をしてくれたけれど…。
介護が長くなるに連れ 弟達が縁遠くなるに連れて 母から離れてしまった。
今では 家での生活も妻に負んぶが当たり前になってしまった。
私に代わって母を訪問なんて 間違ってもないのだ。

GH付近に住む夫の友人たちが「奥さん お母さんと散歩していたよ」と言う報告は頻繁に受けるようなのだが…。
「母さん あの地域では すっかりの有名人でみんな関心してるよ」とまるで他人事なんだなぁ〜。
あれこれ 口出しされて意見が対立でもしたら もっと面倒だしなぁ〜。
このあたりの距離の取り方は実に微妙だなぁ〜。

午前中に 母の不足している薬を取りに行った。
初めから有る薬が4日分在庫がなくて足りなかったのだ。
会が済んで 母の所に出かけて薬を渡して ちょこっとおやつを食べてもらった。母の頭からシャンプーの良いにおいがした。
今日 入浴させて貰ったんだなと判った。
落ち着いて過ごしていて ほっとした。



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