母のタイムスリップ日記
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久米氏のニュースステーションが終了した。 一回目から毎晩見ていた。 ただ、母の介護が始まってからは、だんだん見られなくなって行った。 時間的に無理だったのである。 そんな訳で、ニュースは筑紫氏の方にシフトして行った。
介護が始まりだんだんテレビからラジオにシフトして 気が付けばテレビからはすっかり遠ざかってしまった。
今日が、Nステの最終回という事で少しだけみた。
最後の久米氏の話が興味深かった。 つい先日、夫が話した事と重なり、また 私自身もそう思っていたからである。
久米氏は 番組に対してのクレームの中で番組に非があるものとそうでないものがあったと言っていた。 非のないクレームを入れてくださった方にも深く感謝すると言っていた。 そのおかげで 長く続けられたし感謝してますと言っていた。
夫も仕事で 似たような事があり 数年に渡り苦い思いをしていた。 先日「俺を恨んでいるんだろう…」と言われたそうである。 「とても苦しかったけれど、そのおかげで 学んだ事がたくさん有る。それがなかったら 楽に過ごせたと思うけれど…それでは今の自分にはならなかっただろう…。皮肉でも何でもない。感謝してるよ」と答えたそうである。 夫がかなり辛い思いをしていたのは 知っていた。 でも 乗り越えたんだなぁ〜と感じた。 夫の話を聞いて心底「良かったね」と思ったばかりだったのだ。
私自身も 最近になって 関った全てが自分の役に立っていると感じる。 いろいろの事があって今の自分があるんだなぁ〜と感じるようになってきている。 そういう意味で、みんなに感謝だなぁ〜と思えるようになってきている。
若い時には そうは行かなかった。 苦しんだ挙句 最終的には「正義が正しい」という結論に達していた。
長い介護を通して居るうちに道が見えてきた。 正しいという事で区切る事に危うさがあると感じたのだ。
意見を発しないのではない。
久米氏が降板するの訳のひとつに「適切な言葉が出なくなる」と言うのがあったと記憶している。 最近 見ていなかったので判らなかったけれど やっぱりそんな様子が見えた。私も、時折そんな事がある。 そして、母が大切な役を降りたのも同じ理由だった。 その時の年齢が丁度60だった思う。
普通に生活するのには 不自由さはなかったものの 皆の前でという事に対しての責任という事から考えれば 致し方ないことだろう。
わが身も60に向かって行く。 上手に年を重ねて60を迎えたいなぁ〜。
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