母のタイムスリップ日記
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2003年03月25日(火) 判断に苦しむ症状。

 今日は、3月生まれの人の誕生会だった。
着物を着付けていただき、みんなからお祝いして頂いた。
ホームに手品のボランティアのかたが見えマジックをひろうしてくださった。
ケーキとお茶。抹茶と和風クレープを戴いた。

母は、着物を着ていたいと誕生会がすんでも着物を着ていた。
ふと、お正月にきついだろうと写真撮影を済ませて直ぐ着替えさせてしまった事を反省した。
今日の母は、きついと帯を下の方にずらしながらも着ていたいという意思表示をしたのだ。お正月の時もそうだったのかな?
私は、つい 忙しくしていて自分の事を優先してしまっていたかも知れない。

母は、ちょっとならスーと歩いたりできるようになりつつある。
ここまで来ると、これまでの事を振り返ってもいいかなと思う。

痴呆の人が病気になるとなかなか判らない事が多くなる。
今回の事も、脳出血だったとわかったのは念のためのCT撮影により判った事だ。
見た限り、麻痺も無く(現に今も麻痺は無い)何かが起こったかもしれない時
誰も傍にいなかった。これは、避けようもないことだ。
在宅だってこういう瞬間はあるだろう。

ここまでは、これまでの事。
今、直面しているのは、リハの事。痛みの事。
罹り付け医に報告がてら電話を入れた。
既に精神科医から報告が入っていた。
脳神経外科医の診察の事を報告した。
其の時、今回の出血場所から考えて運動機能は関係ないだろうという判断があった。素人の私が見ても歩行リハには多少の疑問が残る。
でも、施設側は、歩行が不安定、段差の距離感角度もリハに入るという。
歩行、段差などは初期と比べて随分よくなっている。
また、急変して数日の内に目を開けてちゃんと歩行できていた事を考えるとどうなのだろう?

私は、むしろ言葉の方に気になることがあるのだ。
聞く事は理解できるが、言葉を発する時随分悩み言葉を捜しているのが見えるのだ。例えば「トイレに行く?」と聞くと「トイレに行くことがあまり無いように思うのです」と返ってくるのだ。
そういう反応が多いのだ。此方が母の言葉を推測するのだ。
其の上、母自身がきちんと話そうとしても適した語彙を選べず「わからなくなった」と思っているように感じるのだ。
歩行するのに歩く迷いは見られない。でも、言葉は随分迷っているようにみえるのだ。
言葉も、時にきちんと話せるが其れは質問に答える形でなく自分の意思で話す時は割りに適切な言葉を使う。

もう一つ。
其れは、痛みの訴えだ。
今までと同じような動作の中で急に「痛い」と訴える事がふえた。
肩こりなど無い母が首筋や頭が痛いと訴える。
「すわっ」と身構えてしまうが血圧の上昇があるわけでなく一過性のようにも見える。判断が難しい。
昨日、ネットで脳出血の体験記を見て、痛みが出ることを知った。
ひょっとしたら、これってその痛みではないのかと思った。軽くとも起きるとあった。そして、後遺症なら病状的には心配ないともあった。
でも、本当にそうなのか?母の痛みは後遺症と考えて間違いないのか?

こんなふうに判断に苦しむ事が多くなった。
専門の人でも、判断が微妙に分かれることを思うと家族がしっかり見極める事も大切なのだろうとも思える。
やはり、最後は家族か?

其れと母が此の頃、私の名前を呼ぶ。
在宅の頃から、母は私のことを、母のいとこの名で呼んでいたのだ。
初期の頃こそ「あっ、間違ってた」と訂正していたが、ここ数年は間違いを指摘しても「こんな立派な娘はいません」とか「有難う。勿体無い話です」というくらいだった。
それが、急に正確に呼ぶようになったのだ。娘と認識しているかかは疑問が残るが否定はしなくなっている。
これは、どういうことだろう?
急変以来、始った。
こういう事って、普通にあるのかな?

痴呆って、一体 どういう進行するのかなぁー。











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