2014年07月16日(水) |
湯浅邦弘『菜根譚』★★★★☆ |
湯浅邦弘『菜根譚』
メモ。
「正しく治まった世では、身をきちんと整えた『方』の生き方。乱世では、角張らず時世に丸く収まるような『円』の生き方。そして叔季(末の世)では、この二つをうまく併用する。」(p41)
「人間も、同様である。多少の垢や汚れをのみこむような度量を持つことが必要である。(略)この世で生きていく限り、度量は必要である。」(p49)
「人生を磨く砥石」(p125)
「儒家の推奨する『学』は、確かに重要である。学べば学ぶほど、日々知識は増えていく。しかし、それで本当に人は幸せになれるのか。 これに対して、道家の理想とする真実の世界『道』は、それを実践すればするほど、だんだん身につけるものがなくなっていkじゅ。そしてついには無為の境地に至る。だが、無為とは決して何もなさないという意味ではない。無為なのに、やるべきことはなしとげられているのである。」(p194)
「こうした境地に近づくためには、ただ草木を植えるような質素な暮らしが大切である。(略) また、捨て去る、忘れ去る、ということ自体を意識しなくなる。そうした境地に至るためには、ただ香をたき、お茶をたてるような風雅な生活が必要である。」(p194)
「事の渦中と事の外。渦中にいながら、外から自分を冷静に見つめることが大切だと『菜根譚』はいう。」(p218)
相対化。俯瞰。客観視。
「人生の幸不幸の境界を作り出しているのは、他人や周囲のものごとではない。自分自身の心のあり方である。人は、禍福が外からやってくると思っているかもしれないが、実は、禍福を招いているのは、わが心である。」(p241)
湯浅邦弘『菜根譚』
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