活字中毒のワタシの日記

2013年09月01日(日) 渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』★★★★☆

渡辺和子(修道者)『置かれた場所で咲きなさい

メモ。

「人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」(p10)

「私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは『私が変わる』ことによってのみ可能でした。」(p12)

「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」(p43)

「境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。」(p15)

我武者羅応援団さんも、選択理論も、同じことをいっている。

「とってつけたような笑顔でもなく、職業的スマイルでもなく、苦しみという土壌に咲いたほほえみは、お金を払う必要のないものながら、ほほえまれた相手にとっては大きな価値を持つのです。ほほえまれた相手を豊かにしながら、本人は何も失わないどころか、心豊かになります。」(p62)

「不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。」(p62)

「時間の使い方は、そのままいのちの使い方になる。」(p79)

待つこと。待つ時間が祈りの時間となる。

「何かを失うということは、別の何かを得ることでもあります。」(p98)

「毎日を『私の一番若い日』として輝いて生きる。」(p99)

「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ」(p101)

「いつ、何が起きるかわからないから、いつも準備をしておく。」(p134)

「しか」を使わず、「なら」を使った学校。
できない点でなく、できる点を見附、強調する。
相手を生かすことに注力する。

ていねいに生きる、とはどういうことか。
「数年前、私は『ひとのいのちも、ものも、両手でいただきなさい』という言葉に出合いました。そしてこれは、私に、ていねいに生きる一つのヒントになりました。」(p153)

よきことも、そうでないことも。

日々”小さな死”を生きている間にすることが、大きな死を迎えるリハーサルとなる。

ていねいに、両手で受け止めて、生きていきたい。

渡辺和子(修道者)『置かれた場所で咲きなさい



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