刑法奇行
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学会が近づくと、論文の抜き刷りをいただいた多くの方々に対する御礼をまだ差し上げていないことに気づくのである。御礼をしたかどうかすら忘れてしまうこともある。本当に申し訳ない。この場を借りて、お詫びと感謝の意を表したいのですが・・・。メールアドレスがあれば、サッとメールできるのだが、住所だけだと、サッとはいかないのである。それは、時間がないということかもしれないが、ただただ、怠惰です怠惰です怠惰です・・・。
以前は、S藤K作先生からN原先生に至る方法論を採用していた。すなわち、机の傍に絵葉書をうずたかく置いて、論文の御礼をとにかくすぐに書くという方法がこれである。まあ、受領のお知らせとしての意味もあるが、受け取る側は、結構これで感激するのである。若い頃、D藤先生やH野先生からすぐに礼状をいただくことを想起すればよく分かることである。しかし、じっくり読んでから礼状を出すとなると、一月が経ち、二月が経ち、ということになり、結局、出さないで終わりということもある。
若い研究者は、折角、論文を送ったのに、うんともすんとも言ってこないことに怒りの念を生じるかもしれないが、実は、じっくり読んでいて、そのままになってしまっていることも多いのである。返事が来なくても、見ている人は見ているからご安心を!という自己正当化の論理を展開してしまった。
返事が来ないのは、じっくり読んで返事を書こうとしているのだなと思う方が自己癒し策として素晴らしい。実は、これが真実かもしれないのである。本当に感動したら、言葉にならないのであるから、本当に哀しかったら、言葉にならないのであるから、本当にうれしかったら、言葉にならないのであるから・・・。
言葉に誤魔化されてはならない。美辞麗句には気をつけろ!というわけである。たとえば、結婚式の挨拶における究極の姿は、寅さんがさくらの結婚式で一言も発せなかった挨拶であると思う。あれこそ、気持ちが100%であることが伝わるのである。気持ちがゼロの場合に、言葉が100%になってしまうのかもしれない。
何を言っても、自己正当化でしょうか。
ジャスティス for Selbstrechtfertigung
norio
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