刑法奇行
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2004年05月08日(土) 官房長官グッドバイ

 もはや「官房長官ではありません」の一言が使用できなくなったのは、何とも痛い。以前この奇行で書いたように、たとえば、高校での模擬講義や市民向けの講演の際の冒頭で場の雰囲気を和ませるのに最適の一言だったのだが・・・。ゼミ掲示板でも学生達の嘆きが伺われる。一体これから、どう生きていけばいいのか、と哲学上の最大の難問にぶちあたるのである。

 まあ、いずれは辞めるのだから、時間の問題であることは間違いない。生きとし生ける物の生命と同じである。

 民法のO江さんから、斉藤金作にも似てると言われているが、一般性がなさすぎるし、そもそも、直接知らないし、写真で見ると、まあちょっとという感じである。斉藤先生については、もっぱら西原先生を通じて、間接的にその人物像を知るだけである。すごい人だったようである。講義のほとんどが人生論である。刑法の講義で夫婦和合の秘訣をとうとうと述べ、「異心別体が同心一体となるのが夫婦であり、これがまさに共同意思主体説である」と最後の5分で言うのだから、凄まじい。学生が帰宅した後、思わず刑法の本を開く気持ちにさせるのが講義であるというのである。

 これは今では通用しないだろう。そもそも、人生どう生きようと勝手じゃんという思想を否定することはできないからである。おそらく、ちゃんと刑法の講義をして下さいと文句がでること間違いない。あるいは、私の場合、基本的に人生論が好きであり、かりに、斉藤先生の授業にでていて、人生論を聞いて帰宅したら、「人生論ノート」とか、「三太郎の日記」とか、「出家とその弟子」とか読みふけり、刑法の本をきっと読まないだろう。

 まあ、今度は、前官房長官、元官房長官とか言うしかないが、かりに総理にでもなれば、「掃除大臣です」あるいは「アイムソーリ、ヒゲソーリ」とか言うこともできるのかどうか・・・。

ジャーニー to
こんなことを書いている暇はない。法セミ、法時の7月号の編集元締めなのだ。


norio

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