刑法奇行
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2003年12月17日(水) 『息子のまなざし』

 N村先生と渋谷のユーロスペースという小さな映画館で、修復的司法の映画『Le Fils』を見た。原題は『息子』であるが、『まなざし』とは、被害者とその遺族の見方の違いを表現しているのだろうか。

 映画の唐突な終わり方に驚愕するが、その後の展開は、見た人の想像に任せるのであろう。見事な芸術である。被害者遺族と少年加害者の間にその後何が起きるのか、1年後、5年後、10年後・・・。終わらない旅であることが、身に浸みる。

 何と、映画パンフを買ったら、宮台真司の鋭いコメント、杉浦弁護士や片山さんのコメントがあり、修復的司法(回復的司法と訳されてあったが)の説明まであり、参考文献に、またもや何と、拙著『修復的司法の探求』と坂上さんの『癒しと和解への旅』が挙げられていた。いよいよ、時代は動いてきたか・・・。

 宮台さんのコメントは、理解とか納得ではなく、単に「ミメーシス」(模倣・感染)というものが、修復的司法の射程にあり、「修復的司法のタイムリーな但し書」であると論じている。加害者と被害者とが、相互理解することを強調する修復的司法論者が多い。おそらく、H井先生などそうなのだろう。しかし、そこまで要求すべきではないように思う。相手の存在を肯定すること、理解や納得できなくても、一緒にいること、これが重要なのではなかろうか。

 修復的司法は、異質な存在を抹殺することなく、肯定することなのではなかろうか。共存とは、そういうことなのだろう。もっとも、その段階に行くことが難しいのである。映画の中の2人が沈黙のまま一緒に作業する姿が胸を打つ。

 「この映画のそれからについて、ストーリーの続きを書きなさい。」
まさに、ロースクールの試験問題としては、最良の問題かもしれない。

ジャーニー to ユーロスペース


norio

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