刑法奇行
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2002年09月04日(水) 悩ンデルタール人と根病ンデルタール人

 今週は、大学院マスター入試の願書提出期間である。学部生は、人生の選択を迫られる。自分はどこへ行こうとしているのか。そんなこと分からないのが青春であり、この不安定さこそが(今は分からないかもしれないが、ずっと後になって気づくのだが)素晴らしいことなのである。明確な目標をもっている人は楽である。悩まないからである。しかし、悩まないのは、おかしなことであり、悩むのがふつうである。バカボンのパパは「これでいいのだ」というが、いまだにそうは思えない。今の状態に安住したら終わりかもしれない。大いに悩もうではないか。

 これに対して、最近は、病んでいる若者が多いような気がしてならない。自分の現実を他人のせいにしたり、他人をすべて敵だと思いこんだり、自分のこと以外まるで関心がなかったり・・・。こういう人は悩みもしない。悩んでいるうちが花かもしれない。こういう状態になるには、それなりの原因があるはずである。しかし、その原因(そしてその解決策)を本人は分からない。なら、どうするか。本人が気づくまで待つか、誰かが気づかせるか、みんなで叩きのめすか・・・、家康・秀吉・信長のどの方法論でいくかが問題だ。

 われわれ同業者は、こうした、悩みそして病む人々の前では、まったく無力である。机の上で本を読んでいるだけであり、現実に対処なんかできないのである。「しかたないんじゃない」と居直るか、自分の無力さを背負っていくか、の二者択一である。「少年たち3」と「北の国から―遺言―」を見ながら、じっくり考えたいと思う。

ジャーニー to 人間とは何か



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