刑法奇行
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2002年04月22日(月) |
パラ(ダイム・サイト・ダイス) |
昨日、芳林堂で関西のR大のI塚さんに偶然会った。ご家族は馬場で単身赴任である。うちの長男と彼の長女が戸3小で同学年だった。彼は個性溢れる刑事政策学者である。パラダイム転換者である。新たな視点を常に追求している。旧態依然の学者とはまったく異なる。 修復的司法もパラダイム転換として主張する論者も多い。しかし、私は、修復的司法はパラサイト司法であると考えている。つまり、刑事司法にぴったりくっつく、小判鮫のような司法である。刑事司法あっての修復的司法なのである。「あなたなしでは生きていけない」というテレサ・テンの世界である。「ウイズアウト・ユー」とくると、最近ではマライア・キャリーか。極道での「お前がいなければ駄目なんじゃ」という、かたせ梨乃のヒモか・・・。 いずれにせよ、アンチテーゼとして意味がある。これでは生温いという批判もあろうが、すべてが修復的司法になったら、こりゃまた「住みにくい世界」となろう。すべてが「刑事司法」が住みにくいのと同じである。こういう例は枚挙にいとまがない。アンチテーゼとして重要なのであり、それが中心になったら疲れるだろうなというものは多いのである。たとえば、4人で食事をし、全員が親父ギャグを言っていたら地獄である。その中の1人が言うから、和むのである(寒いから暖房が必要な場合もある)。だから、G代K事法のI藤さんとT中さんは、私とK大のI田さんと「牧舎でイート」だから疲労困憊なのである(4人中3人がギャク好きである)。 『刑訴の争点』の3犯(版)が出た。10年ぶりの改訂だが、時代の激しい流れが看取できる。「被害者」という言葉がこれほど多く出てくることを10年前に誰が想像したであろうか。M尾先生の「刑事訴訟の課題」には泣ける。素晴らしいパラダイム学者である。常に大きな枠組みで捉えられる学者である。末尾に、修復的司法が出てくる。 「知」というものにこだわっているか否かが重要である。「知」と無関係の学者がいかに多いか・・・そういう人を学者とはいわないが。「知」(痴ではない)への欲求だけは死ぬまで持続させたい(持続する志)。 ともかく、パラダイム転換を目指しつつも、転換されたら「こまっちゃうなー」だから、所詮、パラサイトの身であり、そういう状態が美しいのであるから、その世界はパラダイスになるというわけである。やっと、標題に辿りついた。パラダイム転換が必ずしもパラダイスにならないのである。 おまけ=W大は馬鹿駄大学、それではK大は?、とI田さんに聞いたら、「低脳未熟大学」だそうである。共通点は、どちらも「阿呆学部」であることか・・・。
ジャーニー to パラパラ
norio
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