hazy-mind

2005年12月12日(月) 後半



月見草は空を見上げていた。
きっとそこに月があるんだろうけど。

「今日は、見えないね月」

月見草からの返事はなかった。
雨に打たれていても、白い花は、色あせたりしていなかった。

「逢いたいの?」

これを聞いたら後悔することは、最初からわかっていた。
月見草はなにも答えなかったけれど
それは返事をしなかったということではなく、沈黙という返事だと、私にはわかった。

「ごめん」

私はやっぱり後悔した。
この問いは月見草を苦しめるとわかっていた。
ただ月見草に私が声が届いているのかどうか知りたかったのと、
私が心の中で叫んでいることを、誰かに言ってもらいたかった。
月見草の答えは沈黙だったけど、それ以上の答えはありえないと思う。

私はかさをひらきながら、入り口から月見草に近づき。

「ごめん」

と、もう一度つぶやいた。

   ないているの?

月見草の声を今夜はじめて聴いた。
それから、自分がないていることに気づいた。

   なんでないているの?

月見草の白い声は、雨音にまぎれたりせずに私に届く。

「わからないよ」

そう、答えた。それは月見草にたいしての初めてのうそだったかもしれない。

沈黙が続く。

沈黙は続いていたけど。
会話が終わったとはすこしも思わなかったし、会話が途切れたとすらおもわなかった。

やがて月見草からの白い声が届いた。

   別に見えないときは、いつも見ているわけではないよ
   ぼくは確かにどんなときでも月のほうを向いているけれど・・・
   うまく説明できないけれど、他のものを見たりもできる
   たとえば雨の日の夜きみが帰るところを見たこともあるよ
   あそこは夜あまりひとがとおらないからね

月見草がこんなに長く言葉を伝えてきたのは初めてのことだった。
逆に言いたいことがうまくいえないから長くなってしまっているような、
そんな気持ちが、白い声を覆っていた。
それはとても大事なことのようだった。
だから私はだまって次の言葉を待った。

   ねぇ、あの、さ・・・

「何?」

   頼みがあるんだ きみに 頼みが

・・・頼み。
私は人に頼まれごとをされるとき、
だいたい「私にできる範囲でなら」とことわりをつけるようにしている。
だけど、このときはそれを言ってしまってはいけないと、なぜだか思った。

月見草の花びらが一ひら、こぼれ落ちた。
私はさすがに驚いてあわてた。

   大丈夫 よくみて ほら ぼくどこも欠けてないでしょ

言われたとおり月見草を見てみると、
たしかに、すべての花びらがちゃんとそろっていた。

   いまのそれは 手紙なんだ 月にいる人への手紙なんだ

私はその『手紙』を赤子をかかえるよう大事に手にとった。
命に重さがあるのならこういう重さなのかもしれないと、おもった。
すこしあたたかい。

   誰かにそれを渡したかったんだ
   あそこはどうやらとても遠くて
   ぼくは ・・・ いけそうもないから

私は月見草に頼まれたことの重大さに気づきすぐに言った。

「ちょっとまって。私も無理だよ。あそこまではいけないよ」

   知っているよ
   届けてもらおうと頼んだり しないよ
   その手紙を ぼくはずっと持っていたけれど
   出すところがなくて困っていたんだ
   頼みは 君にポストの代わりになってほしいってこと
   
「・・・でも」

   届かないということは
   りかいしているから
   だいじょうぶだよ
   だから
   返事も   待ったりしない

月見草は今うそをついたけれど、
そのうそを責めることは私にはできなかった。
少なくとも私は、返信が来ないとわかっている手紙をポストに入れたりはできない。

「わかった。けれど私でいいの?」

   さっききめた きみがここに持ってきたかさを見て
   雨の日のきみを何度も見かけたけれど
   透明なかさを持っているきみは さっきはじめてみた
   たとえそれが偶然でも 理由はそれでじゅうぶんだ

白い。
月見草の白い声が消えていく。

私はだまって屋上を後にした。
一度だけ振り返ると。
彼はまだ彼女のほうを向いていた。


12月22日 夜

さすがに、まだ、仕事に集中したりはできない。
たくさん考えたけれど。
どうしても手紙を月まで届ける方法が見つからない。

月見草にも逢いに行っていない。
なぜだか気まずくて。顔を合わせられない。
月見草の花びらのように見える『手紙』をただ眺めているだけで時間がたっていく。

その時、懐かしい着信音が携帯から聴こえてきた。

かつてバカ男と呼んでいた彼からの返信だった。

メールの内容は、
携帯の電源を久しぶりに入れたからメールに気づいたのが遅くてごめんという、
謝罪の言葉からはじまった。
(やっぱりバカ男)だと少しおもったが、でもうれしかった。
彼は少しも怒ったりしていなかった。
というかなんで私が謝りのメールを送ったのか不思議らしいしどうやら、
ふられたことにも気づいてない感じだった。
私はなんだかあきれてしまったけれど
5分間我慢してから電話をかけて、「やっぱりバカね、あなた」と開口一番そういった。
つい、うれしそうな声を出してしまったが、まぁいいか。
彼はそれに同意して笑った後、クリスマスイヴの予定を聞いてきた。
予定なんてあるわけなかったけれど。
手帳を見る演技をした後。
べつにないよといった。


12月24日 夜

久しぶりに逢う彼は、なんだかすこしやせていた。
向こうはオーバーなリアクションをしていたが。
三週間以上離れていたはずなのに、ふしぎとなつかしいかんじはしなかった。
月見草と逢っていたからだろうか・・・

ちょっと値のはるものを食べながら、彼のバカみたいな観点からの変な話を久しぶりに聞いて、とても心が安らぐのを感じた。

けれど、鞄の中に入っている月見草の手紙のことは頭から離れなかった。

お店を出て外を歩いた。
すると突然彼が真剣な顔で聞いてきた。

「なにかあったの?」
「なんで?」
「なんかとても元気がないようにみえるんだ」
「・・・」
「あ、ごめん、気のせいかもしれない」

そういえば彼は不思議と私が悩んでいることをすぐに気がつく人だった。
他の人が気がつかなくても、彼はなぜかわかるようだった。

「今日は月がきれいだね」

彼が言った。そういえばよく月を見る人だったな。

「そうだね」
「子どものときさ、月を見ながら思ったことない?」
「何を?」
「届きそうで届かないとか」
「あぁ・・・あるね。小さくみえるものね」
「そうそう、つかんだりして届いた!とかやってたよね」
「それは私はやらなかったな・・・」
「やったことないの?こんな感じで月に向かって手を伸ばして握るだけだよ」

私は彼のその仕草をまねてみた。本当に月に手が届いた気がした。

それからすぐに鞄を開いて『手紙』を取り出した。
不思議そうな彼を横目に手のひらに『手紙』をのせて月に向けた。
そしてゆっくり閉じた。心の中で強く願いながら。

(ありえないなんてことはありえない)


ひらいた手のひらの中に『手紙』はなかった。

心臓の音が、とても強くなり始めた。

「とどいた・・・」
「え?」
「なんでもないよ。ありがとう」
「?よくわからないけど、ファミレスにでも行かないか」
「あぁ、さっきのお店はあなた向けじゃなかったしね」
「さすが。よくわかってるな。それに寒い」

月見草にこのことを伝えにいこうかと思ったけど、
本当に届いたかどうかもわからないし、そもそも返事が来る可能性もないから、
伝えないことにした。

私の地元のファミレスに入って温かいスープを飲んだりしてまったりした。
とりあえずの満足感はあったから。
これでいいのだとおもった。
ふと彼を見てみると窓を見ている。
私も見てみたら、はらはらと雪が降っていた。

「クリスマスイヴに雪が降るなんてすごいね」
「すごいどころじゃないよ。俺はこの土地に生まれそだったけどホワイトクリスマスは初めてだよ」
「『ありえないなんてありえない』でしょ?」
「あ、うんそうだけど・・・まるで『かざばな』だな」
「かざばな?」
「あぁ、風花って書くんだけど、この雪みたいに雲もないのにゆっくり降る雪のこと」
「風花・・・」
「でも本当に良く見てみると風に舞う白い花びらに見えるなこの雪」

その彼の言葉が終わった瞬間私は席を立ち走り出した。

「ごめんちょっとまってて」
「え?どこ行くか知らないけど閉店までしか待たないよ」
「うん」

月見草への返事だと直感した。月にいる人からの返事だと。
風花は数秒でやんだ。地面にはなにも残っていない。

私はマンションにつくと屋上まで一気にかけあがってドアを開いた。


そこにはもう月見草の姿はなかった。
でも私はなんとなくそのことを想像していたし。

月見草が私にお礼を残さずに去るようなこともないと。
なんとなく思っていた。


そして。
白い声が聞こえてきた。

目を閉じると無数の白い風花が私のまわりを舞っているようなきがした。

月見草のお礼は私だけの秘密にしておきたいからいわないけれど。
私はそのとき、笑った。

白い声と風花が消えても、すわって月を眺めていた。

となりに月見草はもういないから会話したりできない。

けれど・・・

月を眺めているだけで私は満足だった。


それから、ファミレスに向かう前にコンビニによって。
何か彼へのプレゼントになるようなものはないかゆっくり探した。

24時間営業の店で『閉店までしか待てない』といったあのバカ男は、
いったい何をあげれば喜ぶのだろうと考えながら、
すでに私は彼のうれしそうな顔を想像して、
(待ってろバカ男)と思いながらにやけた。

けれど、そのバカ男がプレゼントを用意していないはずがないことに、
気づけなかった私はもしかして。

もしかして、大バカ女なのかなぁ・・・?



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