hazy-mind

2005年03月19日(土) 『船は出ない』短編


ビニール袋に空気を吹き込んで膨らませる。
それから口のところをゴムで縛る。
それを宙に放る。


それから見たら、天と地は逆転して見えるんじゃないだろうか。
もしくは回転して。



彼女には机の上においてある時計の秒針が、
すこしテンポが速いように感じてならなかった。

だから時計を止めたかった。

だけど時計を壊す気にもならなかったから、彼女は外に出た。


ふらふらする。


ふらふらする。


ふらふらする。


病院のトイレに何とかたどりつき、鍵を閉めてうずくまる。

途中で大丈夫ですかと言われた気がしたが、気にしなかった。


この右腕にある小さな刺青は、どうしていれたのだっけ。
逆三角形が二つ重なったような刺青。

そんなことを考えながら、タバコを吸った。
このタバコは甘い。


トイレに吸殻を流す。
落とし穴に落ちるような吸い込まれ方で吸殻が落ちていく。
急に地面がなくなったかのように。

なにがそんなに不安なのか。


トイレから出て長椅子に倒れこむ。

隣に座っていた男が大丈夫かといってきたが、気にしない。


テニスボールくらいの大きさの玉が転がってきた。
彼女を見て笑っているようだった。
彼女は起き上がりボールをふんだ。

パンッ

玉はそんな音をたて破裂した。


彼女はまた長椅子に横になった。


携帯電話を取り出していじる。
ボタンを押すたびにピッと音が出るが、気にしない。


ここの空気は粉っぽい。
小さな点や大きな黒い点が宙にたくさん浮いているようだ。


さっきの玉はなんだったんだろう。
どうでもいいか、そんなこと。


そんなことを携帯に打ち込む。
誰かに送るわけでもない。


係りの人に名前を呼ばれる。

ふらふらしながら診察室へ入っていく。

後で自分の名前の意味を辞書で調べてみよう。


何も変わらないと、いつものように細い声で医者に言う。


診察室から出て、長椅子に横になる。

また玉が転がってきて、彼女の前で笑う。

彼女はそれを無視しながら、刺青は何で入れたんだろうと思いだそうとする。


家に帰った彼女は、時計の電池をはずした。

ありがとうございます

そう時計が言ったが、気にしない。



彼女は笑った。
なにがそんなにおかしいのか。
わからない。


膨らませたビニール袋を宙に放る。
逆さまになって落ちてくる。

きっとそれからは天地が逆になって見えるはずだ。
もしくは回転して。


彼女は漢和辞書で穐と言う字を調べた。
秋という意味だった。





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ぺんぎん