経る時・・・
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日が経ちました。「経る時・・・。」を書き始めて
日目です。
2006年05月23日(火) |
やはり・・・。退院ではあるが・・・。 |
病名は「異形成髄膜腫」脳腫瘍としては、良性ではあるが、質の悪い もの・・・。死亡率は5% 後遺症の確率は40%とかなり高率で、 「極めて腫瘍大きく、手術の危険度も高い」と書いてあった・・・。 (後遺症=麻痺・失語・植物状態等)
そして、『救命』の文言・・・。そう、当人が思う以上に、 事態は、緊迫していたらしい。だが、担当医の先生に何も聞かず、 すべて任せることにした。すべてを知ったのは退院前だった。 すべてを任せ、ベストを尽くした結果がそれならば仕方がない。 麻痺になろうが、命を落とそうが、すべては、託した先生次第。
そして、先生の『頑張ろうね』の一言も大きかったと思う。
腫瘍のサイズは10センチ。女子医大での記録が8センチだから、 最大記録を更新したことになる。そして、鼻部と額部は、骨が 無くなって形成に難渋したそうで・・・。
幸い、手術の経過は良く、大体2日後に麻酔から醒めるのが、1時間前後で、 醒めてしまったようだ。家内が、指が動いているのを見つけて、驚いて、 先生を呼んだらしい。
本人自体、翌々日と思っているから、5/11と勘違いしていた。 名前を答えたというので、意識は、はっきりしていたらしい。
翌日、3時間かけて徐々に起きあがり、靴からサンダル、スリッパへ。 看護師さんが驚いていたのが、不思議だったのだが、逆だった。
翌日からは、階段の練習。食事もこの頃には、常食に。 ただ、この頃から、ステロイドや、脳内圧亢進薬等の副作用に悩まされる。 顔がむくみ、満月状の顔になってしまった。ステロイド薬疹で苦しみ、 今も皮膚科に罹っている。
周りの時間感覚の壊れた方に惑わされ、睡眠がとれず、何回か、 意識を失うことになるのだが。眠剤も効かず、最終的に部屋移動した。
そして致命的なのは、右手の小指と薬指にある程度の麻痺が見られること。 字が書けなくて書類が書けない。そして、もう一つは、2年間は、クルマに 乗れないということ・・・。
代わりがいない弊社としては致命的で・・・。
ここでは割愛するが、この苦しみは、所詮、自分にしか解らず、 抱えていくしかないのだなということ・・・。
とても苦しくて、辛いことだけれど、何とか乗り越えるしかない。
来週から、外来が始まり、今度は、新宿の本院でγナイフが始まる。
2004年に気がついていたのだから、早く行けば良かったのだが、 怖かったのだ・・・。そして、「アテローム」だとばかり思っていて、 処置が遅れてしまった。そのせいで額に陥没が出来、チタンが入っている。
仕事面でも、自分が欠けてどうなるのかとても不安で・・・。 幸い、一時退院の連絡をすると無理せず治してくれとのこと。 次回の発注より、こちらに回してくれるそうで・・・。
まあ、これからは身体をいたわって、生きたいと思う。
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