index  

争い(2)



          君死にたもうことなかれ

                    与謝野晶子

              ああおとうとよ 

        君を泣く  君死にたもうことなかれ

      末に生まれし君なれば親のなさけはまさりしも

       親は刃をにぎらせて人を殺せとおしえしや

      人を殺して死ねよとて二十四までをそだてしや

                (中略)

            君死にたもうことなかれ
 
     すめらみことは 戦いにおおみずからは出でまさね

       かたみに人の血を流し獣の道に死ねよとは

            死ぬるを人のほまれとは

       大みこころの深ければもとよりいかで思されん

               ああおとうとよ 

         戦いに 君死にたもうことなかれ

      すぎにし秋を父ぎみにおくれたまえる母ぎみは

     なげきの中に いたましく わが子を召され 家を守り

      安しと聞ける大御代も母のしら髪(が)はまさりぬる

                (中略)

       この世ひとりの君ならでああまた誰をたのむべき

            君死にたもうことなかれ



  昔、現国の時間に習ったときには
  この詩の持つ意味よりも
  与謝野晶子 乱れ髪 明星 与謝野寛
  って、単語として記憶することの方が重要でした。

  今思えば、そんなことよりも
  『内容』の方がずっと大切だったことが分ります。

  この詩をふと思い出したのはこの戦争が起きてから。
  いつの時代も愛する人へ向ける気持ちは変わらない。

  
  国を治める人は、国の民の親であるべきではないでしょうか?

  私利私欲より、国民の幸せを考えるべきだと思う。

  国民を慈しみ、励まし

  寛容、愛、感謝の心を忘れてはいけないと思う。

  命の重さをわかっていて欲しいと思う。


  『自分さえよければ』

  そう思う指導者の下に暮らす人々は哀しいと思う。

  10才〜16才

  そんな小さな子供を戦士として教育し

  戦場へ送るだなんてひどいこと。

  国民が食べるもの着るものにも事欠いているときに

  贅沢の限りを尽くす

  どう考えればいいんだろう。


  国民が戦っているときに

  机上の論理で戦争のシナリオを作る


  国民は指導者の持ち駒ではなくて

  "人"なのに・・・  

2003年03月29日(土)
 


**blog桜色の日々** **my登録** .
 

pastnext

* FuwaFuwaさくらのふわふわ日記 *