2003年10月29日(水) |
棟方志功 と 俺の道 |
「朝7時にロビー集合です!」
うげっ と思いつつ、7時には「お仕事モード」の顔でロビーに下りる。 今回は営業さん相手のちょっとしたインストラクターのようなお仕事。 あさっぱらから15名ほどにプロジェクター使って会議室で講習をする。 数千人から小人数までを相手に、しゃべる仕事もやってきたので いざとなるとでっかい声も人前も平気なんだけれど、始まる前は緊張する。 だからね、昨夜はちゃんと浅い酒にしておいたよ。
2件のお仕事を終えて、なんと10時には終了。 現場が倉敷だったので、大原美術館の前で車から下ろしてもらう。
分館で、棟方志功展をやってるじゃないかー!!!! 大興奮 前から見たいみたいと思いつつも、実現しなかった私のちっちゃな夢のひとつ。
庭がきれい! いい天気でお庭でぽけーっと長い時間を過ごす。 本館や工芸館をゆっくり見ながら、ラストの分館までボルテージを高めていった。
本館には「受胎告知」やモネの「睡蓮」などがある
本館入り口の「和服を着たベルギーの少女」児島虎次郎の作品。 鮮やかな和服に身を包んだ少女のひとみと目の周りを彩る朱に、なぜかこころ惹かれる。
一階から二階へ上りぐるりとわまって、じっくり作品を見て回る。 と、外に出てきてしまった あれ??? 「受胎告知」みてないぞ??? もう一度入ってみると、本館の2階にありました(笑)
2階の私が見忘れた部屋は、いわゆるメインなのでしょう。 有名画家の絵がたくさんあった。 でもあまりぴんとこなかった。
ただ、気になったのがレオン・フレデリックの 「万有は死に帰す されど神の愛は万有をして蘇らしめん」 7枚の連作で 左3枚が死の世界 右3枚がよみがえりの世界 真中1枚が審判を待つ世界という感じなんかな?
キリスト教的宗教世界観を描いているものだろうけれど、 たくさんの不思議をかんじた。
血を垂れ流したり、内蔵が出ていたり、肉体の描写は細かくてむごたらしいのに 折り重なるように絶命する人々の顔がすごくやすらか。
一方、虹の光に包まれて降臨する神の愛によって よみがえったであろう人々の顔には、歓喜が見られない。 光に包まれたキリスト?や両手を掲げて光を受け取る人々、 天国のような輝きの中にある人々の顔は、うつろそのもの。
不思議だ。 苦しんでいる死者はいない。 けれど、魂の抜けた生者が天国で神をたたえている。
一見、キリスト教思想賛歌に見える絵だが、 実は批判なのだろうか・・・ うーむ。気になる。
天国も地獄もない あるのは 今 今をどう生きてゆくか それだけが生の課題だ
受胎告知は、きれいだけれどガツンとこない。
江戸時代の米蔵を改造して作られた民芸館に入る。 カツカツカツと歩きながら、バーナード・リーチや浜田の陶芸作品を見る。
ん? カツカツ?
そう、ここの床が面白いのだ。 線路の枕木をブロック状に切断して組み込んでいるのだけれど その組み方が部屋によって違う。 そういう設計のこだわりもまた、素敵だ。
奥には、竜門石窟の仏、弥勒像、堂山石窟の菩薩・・・ などなど、各地から集められた仏像が並んでいた。
でも、ある種の悲しみと冷たさが漂っている。
絵や陶芸とは違って、仏像が売買される背景には侵略がある。 (もちろん絵も陶芸も美術品も侵略され売買されることもある)
大英博物館なんて、世界中の先住民や犯された国々からの盗品の宝庫だ。
本来は、その地に納まりその地域を見守っていたはずの 仏教美術品が侵攻や戦争によって盗み出されて、売買される。
切ない。
自分的メインの棟方展についてはまたじっくりと!
棟方作品を見ている間中、エレファントカシマシの俺の道が 私の心の中で流れつづけていた。
棟方の、その生き様にまたしてもすごいパワーをもらいました。
帰りの電車の中で、小高い丘に沈んでいく夕日を眺めながら、 10年ほど前に、出雲で見た夕日を思い出した。 喜納昌吉の出雲大社でのライブのときだったなあ。
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