この前、といっても1ヶ月近く前のことだけれど、三ノ宮まで出かけた。
上月 大介 という骨のあるうたうたいと会うために。
待ち合わせの場所にやってきた彼は 「今そこで友達に会って誘われた・・・」とライブのチケットを持っていた。
谷口修之という人の演奏を最後に見ていた。 「僕の普通」という歌がよかったかな。 ミスチルが好きだという彼は、「蘇生」をうたっていた。
「蘇生」は、私も一番好きな歌かもしれない。 以前、日記にも書いたけれどね・・・。
叶いもしない夢を見るのはもう やめにする事にしたんだから 今度はこのさえない現実を 夢みたいに塗り替えればいいさ そう思ってんだ 変えてゆくんだ きっとできるんだ
蘇生
「たった1フレーズが歌いたいために、歌が生まれる事がある」 ミスチル桜井くんが何かでそういうことを話していた、というMC。
私も同じ。 たった一言がいいたいがために、文字を書きつづけている。 十何年間も・・・・。
そのことは、少しは人に伝わったんだろうか?。
自分が表現した文字を見て、誰かが動く。 幸せなことに、そういう人に数人には出会った。
敬愛する大ベストセラー作家が、 私が昔書いたインド旅行のレポートを見てインド旅行に出かけちゃったとか。 その旅の影響か、ずいぶんとスピリチャルな方面の事を書き始めてくれたとか。
小さな雑誌に書いた、名も出てない呼びかけ文をみて、 3週間もの過酷なアメリカ横断旅行に参加してくれた人とか。
そういう人は、たまらなくいとおしい。ほんとに愛してしまう。 まっすぐにその道を歩きつづけて欲しいと、強く強く願う。
何かを表現するってことは、重い責任を伴うってことを意味する。 谷修くんのMCを、ふと今日1ヶ月近くもたった今思い出したようにね。
たったひとことでも、人のこころを動かす事がある。 どれだけ言葉を重ねても、届かない事もある。
ライブの後、酒を売っているコンビニを捜し求めて、 上月くんと三ノ宮の町をぐるぐるぐるぐる歩いた。
音楽の話をひたすらにしながら。 表現の話をひたすらしつづけながら、 ひたすらに、ひたむきな彼とあるきつづけた。
前を向いて、内を向いて、時には空を見て、歩くあるく。
明るいネオンに照らされた空には、 アルファベットのDのかたちをしたお月さまが張り付いている。
ゆったりと坂道をのぼる。 空にはなにもない。 星も見えない。
ネオンは明るく照らしている。 このこころの底を。
己を表現する事を さらけだすことを 渇望するこころ
やさしい色のイチョウ。灯りに透かされて、かわいいきみどり。
立ちつくす客引き。色とりどりの服を着たおねーちゃん。
高架下 シャッターの閉まった暗い通り 汚れた床 壁
それでも話は加速する どこまでも止まらない
内に秘めた 大いなる 野望 いつか表で 爆発させてやる
そんな想いを抱えながら。
明日は私のものだ 私は 私の世界を塗り替える 私のコトバで
久々に発見したいいうたうたいの歌に関しては、また次の機会にね。
まだ、消化も昇華もできてないさ。
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