2002年07月10日(水) |
新月の祈り 7日京都無事終わりましたよぉ。 |
今日は新月だ。新月の日は断食をするととてもいい。
のだけれど・・・。 でも、今日の私は根性なし。自分の欲望に負けた。テヘッ。
だめねぇ。大きな目標がないと、気合いを入れられないんじゃぁ。 日常こそ、自分との大いなる闘いの連続なのに。
さて、7日京都での大イベントが無事に終わった。 インドから国防大臣がやってきて、壊れた武器を喜納昌吉に手渡した。
人を殺し、こころを傷つけ、涙を流させ、恨みや苦しみを魂に刻みつけてきた武器。 それを、楽器という平和を象徴するモニュメントに変容させるために、 パキスタンと一触即発状態であるにもかかわらず、 インドはこの平和イベントに賛同し、武器提供第一弾になってくれた。
フェルナンデス国防大臣はインド国内では、様々な批判を受けたという。
それも当然だ、これから戦争をしようかという国のそれも国防大臣が、 武器を放棄するかのような行動をしたのだから。 だけど、だからこそ、私はその国防大臣の勇気に敬服する。 日本の同じ立場にいる人が、それをする勇気があるだろうか。
私は、別になにを手伝ったわけでもなく、そこに参加して祈りを捧げただけだ。 このセレモニーのために、5日間の断食と、約一週間の節制生活を送った。 誰に頼まれたのでもなく、自分でそう思ったからやっただけ。
7日の「すべての人の心に花を」は、すごかった。 ひさびさに、魂の叫びを聞いた。
喜納昌吉が演奏をはじめた途端、国宝の知恩院の御影堂には、 やさしくそして力強い風が吹き抜けていった。 そして、数羽の鳥が負けじと歌いはじめた。
祈りながら、喜納昌吉の歌を聴いていた。 いつしか涙が頬を伝っていった。 感情とはまったく関係なく、水が流れていく。
この一週間かかえてきた、沖縄で8年間かけて培ってきた いや多分生まれてくることを決めたときに抱えてきた想い、 その言葉に変換することさえ出来ない祈り。 それが通じたことを、私のこころが受け止めていた。
その風や、大きな存在とひとつになっているこころが 私の身体に、涙を流させていた。
セレモニーが終わったあと、しばらくの間ぼーっとして、 なにも話すことが出来なかった。思考が言語にならないのだ。 ただ、至福感だけが私の胸を満たしていた。
なんで、この日がそれほどまでに重要だと私が感じたのか、 それだけ集中して祈りに入っていったのか、 この一週間になにがあり、セレモニーの間になにが起こり、 終わってから、なにがどう変化したのか。 書きたいけれど、まだかけそうにない。あまりにも、とっぴすぎて(笑)。 ま、そのうちにね。
今日は新月、あのタイの夜から月がひとめぐり。 新月の日は、自分自身と語り合うには、とても良い日です。 こころを落ちつけて、深く呼吸をして、瞑想でも祈りでも何でも、やってみてね。 ほんとの自分と再会してください。
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