2002年04月23日(火) |
こころの中を旅しよう |
こころの中を旅しよう すべてを受け入れよう。今、目の前で起こっていることすべてを。
私を癒すことが出来るのは、私自身でしかないから。
こころの中を旅しよう。 自分がどこで詰まって、どこで転んで、どこで泣いているのか。 自分をもっと知るために、こころの中を旅しよう。
ほんとうのスピリチャル体験をするために、 インドやネイティブピープルの聖地に行く必要はない。
ほんとうに神聖なるもの。 それは、自分自身のこころの中にある。
私はインドにも沖縄にもアメリカにも行って、 インディアンのスウェットやセレモニーや祭りにも参加してきたけれど、 私が見つけたのは、やっぱり自分のこころのなかにすべてがあるってこと。
その事に気がつかないことには、世界中どこを探したって、さがしものは見つからない。
探す気さえあれば、絶対に見つかる。
それを表現する方法だって、ぴったりとはまるものが見つけられる。
哲学の深さは、苦悩の重さに比例する。
なんかの本に書いてあった。なにに書いてたんだろう。やたらと納得した私。
でも、その逆は有り得ないんだろうな。
苦悩の重さは、哲学の深さ にはなり得ない。面白いね、真実って。
与えるだけの愛は 一見美しく見えるんだけど それは不完全なもの。
与えて 与えられて 循環してこそ 完全になる
与えるだけの愛 それってエゴなんだよね。
今日、私はそのことに気がついてしまった。 あー恐いね、真実って。
私はね、今まで与えるばかりだった。与えているつもりだった。
うーんとね。多分、すべては恐怖からきているんだ。
愛されたいと願っても愛されないということが起こったとき それを受け入れることが 恐かったんだとおもう。 でも、愛されたい そういう気持ちが強烈にわいてきた。
これは、私が一歩前にすすんだ証拠。
多分ね、母親にほんとうの意味で愛されたことがなかった。父親にもね。
だから、私は自分が人に与えることばかりをしようと思っていた。みたい。
相手のこころを期待してこなかった。
だから、まともな恋愛ってあんまりしてない。うーん、ごめん。今までつきあった人よ。 そういう人だから、子供の父親ともちゃんと一緒に生きていけなかったんだわ。 実名だしてるサイトで、ここまで書いてる私も異常、かな?。
まあいいや。これも、誰かの、なにかの、きっかけになれば・・・。
巡りめぐって、愛が温暖化して、人類のハートが温かくなれば。 私はそれでいい。
与えてばかりの愛情。でもそれは、ただの強がりの私。 ほんとうは愛されたいよ。 当たり前だけどね、誰だってそうだけどね、私、今気がついた。どんくさー。おそーい。
やさしくされたい、包まれたい。そう、ほんとはずっと思っていたくせに(笑)。 そうじゃない、ふりをしていた。すまぬ、私よ。ずっと騙してて。
ちゃんと、愛する人を見つけよう。愛して愛される、そんな関係を築こう。 出来るかなあ。わからないけど、でも探しはじめないと、見つけられないから。 今までと比べたら、まだ一歩進んだんじゃない?。
忘れようとしている痛みがある。
兄からずっと虐待を受けていた。小学校5年生から高校2年生になるまで。 目の前で見ていた母は、そんな兄から私を庇えなかった。守ってくれなかった。
誰も、私を守ってはくれなかった。誰も、私をやさしく抱いてくれなかった。 誰も、私の髪をなでてくれなかった。
中学生の時、連日の嘔吐と頭痛に襲われて、学校に行けなくなった。 病院に行っても原因がわからず、何件かまわったあと言われたことは 自立神経失調症 だって・・・。
食べても食べても吐く日が続いた。ほとんどモノを食べられない。 兄の暴力と私を守れない母の虚ろな目にさらされて 私は拒食症になった。
なにがきっかけかは忘れたけれど、ある日食べれるようになった。 兄がいないとき、冷蔵庫をあさって、ただ目についたものを口に入れ続けた。
ただただ食べ続けた。 拒食症から過食症へ。
一応食べれるようになった私は、外に出るようになった。 学校に行かず街を歩いていると、おとなしそうに見えた私はよくヤンキーにからまれた。
5、6人の女の子にトイレに連れ込まれて、「金だせや」って。 そんなとき、私は相手がかかってくる前に女の子のおなかにケリを入れた。
一発で勝負は決まるよね。 だって、私は殴られ、蹴られなれているから。痛いところはどこか、すごく知っているから。
兄貴から受ける暴力を、ちがう人に向ける暴力で発散していたんだ。 兄が与えるストレスを、私は垂れ流して他の女の子を殴って解消していた。
今ならわかるよ。そういうストレスが、すべての人類のストレスが まわりまわって、戦争をつくってるんだって。 兄の暴力からどうやって逃げたかって?。単純な話し、家を出た。
ある日、ひどく酔っぱらって目が覚めたら、ホテルの部屋にいた。 そこまでの記憶はまーったくない。 東京に住んでいる8才年上の人。2年前くらいから知っていた人。 たまたま出張で大阪にきていたその人の泊まっていた部屋だった。
ラブホではなかった。目が覚めたとき、まだ処女だった(笑)。それはね、今でもほっとしてる。 その人は、泥酔してわけわからなくなっている私を、介抱して部屋まで連れていってくれた。 ガンガンしっぱなしの頭を抱えている私に、その人は言った。
一緒に東京に来る?。
え?。
なんで?。こんな私を連れていってくれるの?。ここから?。 助け出してくれるの?。
私はそのまんま東京について行った。男の人に優しくしてもらったのは、はじめてだった。 おままごとみたいな生活。仕事に行く彼を送り出して、ご飯をつくって帰りを待ってる。 すごく幸せだった。うれしかった。毎日、幸せだった。
でも、男の人ときちんとつきあうことが恐かったんだと思う。 その人はすごく優しくて、不器用で、面白い人。全然暴力的じゃない。 でも、一緒にはいれなかった。彼の問題じゃなくて、私の問題。 人を好きになることが出来なかったんだね、私は。
ミュージシャンとか俳優とか、遠くの手に入らない人を想うことは出来ても 目の前の人と、ちゃんと接することが出来なかった。
で、また逃げた。大阪に戻った。
次に、こんな私を好きになってくれたのは沖縄出身の男の子だった。 でも、その人のことも心底好きになることは出来なかった。ごめんね。
その人は、私に素晴らしい道をもたらしてくれた。そう、私は沖縄と出会ったのだ。
私を、私の家とそれまでの人生から連れ出してくれたこのふたり。 彼らと出会えたことは、私は運命だとおもっている。
なんで、私が今の私になれたのか、暴力を乗り越えて、 こんなサイトを開くようになったのか、 それはまた次に・・・。
でも、今、苦しんでいる人に、一つだけ言えるよ。
大丈夫、絶対に抜け出せる。
生きてさえいれば、そこから抜け出そうと想い続ければ、絶対に道はある。
死ぬな!。自分で自分の命を絶とうとするな。それだけは言いたい。 死んでも、その苦しみからは逃げられない。 今、おわらさなきゃ。 がんばって。 私も、のんびりがんばるから。
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