2001年10月01日(月) |
HeartbeatsFreebird 春名尚子 2003.10.2 22:28 |
2003年10月1日 その2
ここから 〜
ああ ほんとうにイライラする。 自分が生きていることにうんざりする。 それでも生きなきゃならんとしたら 私は何をする?
この世界で一番キライなのは、自分自身だ なので 好きになりたくて 向上しようと思いつづけている
わからん。 自分のことが一番。
たすけてよ っていっても 誰も私を助けられない まもってよ っていっても 誰も私をまもれない
結局 自分が自分とむかいあいつづけるしかない
そんな勝負 途中で投げ出したい そこまで 弱くも 強くもない その中途半端さが 余計にイライラさせる
弱音を吐いてみた あいかわらずです 私は よい天気の昼間 社会不適合者の私
前から書こうと思ってたんだ。
自傷と自殺は、同じように見える行為でもまったく意味あいがちがう
自殺は 生を終結させるための手法 自傷は 生きるための手法 こころの叫び
生きるならば、もっとよい手法がいくらでもある きっと。 そのことに、気づいてください。
〜 ここまで。
以前にもさらりと触れたし、あんまそんなことばかり書くのも嫌なので そのうちまとめて書こうと思っていたけれど、よい機会だな。
10歳から16歳まで、実の兄から虐待を受けつづけていた。 目の前で母が兄に刺されたこともあった。 兄を殺して自分も死のうと、そればかりを考えていた。
空手とボクシングをやってる兄に反撃を喰らう前に殺すとなると 寝ているときに刺すしかない。 勇気がいつまでたっても出なくて包丁やハサミを抱いて眠っていた。
偏頭痛に襲われ拒食と過食を繰り返した。自律神経失調症だったそうだ。 嘔吐の連続で、身体はボロボロだった。 ハサミやカッターで自分を切るのが好きだった。
学校にはたまに行っていた。唯一の息ができる場所だった。 街に出たらカツアゲのターゲットになるくらい大人しく見えた私は、 絡んでくるヤンキーたちを相手にストレス発散をしていた。 相手が10数人でも勝ってた。殴られることは怖くなかったし どこが一番痛いかを、自分の身体で知っていたから。
両親が離婚して兄と一緒に暮らすようになってから家を出るまで、 私は母親の目の前で6年間、殴られつづけていた。 3人暮らしだったから、誰も私を守ってくれる人はいなかった。 自分のことは自分で守るのだということを、身をもって知った。
私が今の私になれたのは、いろんな人のおかげ。 すべての出会いに、感謝をするしかない。 そして、これから訪れる出会いにも。
15歳の時、離れて暮らす姉と再会して、人のやさしさを知った。 姉を通じて、いろんな音楽に出会った。私の世界がはじめてカラーになった。
16歳の時、湾岸戦争がおきた。海の向こうではまだ戦争で人が死んでいることを知った。 こんな小さな家の中で、暗闇に怯えるのはやめようと思った。 そんなくだらない男のことで、一生を無駄にするのはやめようと思った。
家を出てからも、恐怖はまとわりついてきた。 私がこういう話をきちんとできるようになったのは、ここ数年だ。 自分のこころと向かい合って、過去を整理しようと思ってからだ。
97年、私が21歳のときに子供が生まれた。 愛しい我が子を胸に抱いた時に、子供時代を母親の立場で思い返した。 ちがう痛みが、私を貫いた。
私に二人の子供が生まれたとして ひとりの子が、ひとりの子を、気が狂うほどに殴りつけたなら 私は親としてなにをする?
私も兄も、そして姉も。 母からは愛されてなかったんだと気づいた。
私は息子を愛せる母親になろうと思った。
兄は父から暴力を受けていた。 姉も兄から暴力を受けていた。 私は母からも兄からも。
虐待を受けた子が親になったとき、子に虐待をする確率は?
暴力は連鎖しつづけるか? 私は、その連鎖を食い止めたい。
自分が息子を虐待するのではないかと、その恐怖に怯えつづけた。 息子を叱るたびに、自分自身の中の兄の顔と子供の頃の私がよみがえる。 怖くて怖くて仕方がない。 息子を叱るたびに、死にたくなる。手首をかききりたくなる。 でも、息子にとって母親は、こんな私しかいないのだと思うと生きてゆくしかない。 生きるからには、最高に生きようと祈る。
戦争や環境破壊や人権の侵害、 とにかくすべての暴力的なことを止めたいと、 こころの底から願っている。
そういう気持ちから、世界で最もアクティブなアーティスト 喜納昌吉を支えて活動をしつづけてきた。
せめて私からは苦しみや痛みではなくて、 愛ややすらぎのみが世界に放射されるように そのために、自分を愛せる人になろうと思った。
けれど、今もまだ私は私がキライだ。 白い私と黒い私が、互いを消し去ろうと争いを続けている。 両方ともがそろって、春名尚子なのに。
この社会は狂っている。私はそう思っている。 こころの純粋な人ほど、社会のゆがみについてゆけずに苦しみを抱えてしまう。 そんな世界はおかしい。 でも、それをどうやってなおしていけばいいのかわからない。
私は病院に行かなかったから病名はつかなかっただけなんだよ。 自律神経失調症だって言われた時に、ほっとしたの。 兄も母も狂ってるのに、私だけがまともだったから苦しかった。 私もおかしいんだってわかって、ほっとしたの。 それから、二度と病院には行かなかった。
私はいのちが尽きるまで、世界のゆがみを治す仕事をやりつづける。 現実社会でも、スピリチャルな世界でも。 それをやるために生まれてきたのだと知ったから。
家を出て、自分らしく生きられる世界があったことに気づいた。 家の中にいる間は、そんなことを想像することさえできなかった。
明日 という日を 思い浮かべることさえできなかった。
次の瞬間、兄から殴られないようにするにはどうすればいいか、 一発でも殴られる回数が減るにはどうすればいいのか そのことしか頭になかった。
今も情緒は不安定。
けれど、私は世界に愛をばら撒きたい。 光を求めて歩いていこうと思っている。
それが 私です。
愛することも 憎むことも ひとつです。
それならば私は迷わず 愛することを選ぼう。
HeartbeatsFreebird 春名尚子 2003.10.2 22:28
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