こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2000年12月01日(金) インディジニアスピープルであるということ


  二年前の今日、アメリカの片田舎パインリッジという街にいた。

  そこは1890年、350人もの無抵抗なインディアンが、騎兵隊に無差別に虐殺された土地だ。そしてその遺体は、浅く広く掘られた穴に無造作に積み重ねられ捨てられていたという。

  ウーンデッド・ニーという小高い丘。

  アメリカ合衆国は、その最後の大虐殺を終えて、「フロンティア(西部開拓史)は終わった」と、インディアンの絶滅を宣言した。

  アメリカ政府は、あの広大な大陸の本当の所有権を持つインディアンを絶滅させたと思っていたが、彼らのスピリットは失われることなく、今もその大地に息づいている。

  それ以降も続く、差別や抑圧にも屈しないで、インディアンとしての精神性や生き方を守り続けている人々もいる。

  ひるがえって、私が生まれた日本という国はどうなんだろうか。私、自身は。

  岡山と香川出身の両親を持ち大阪に生まれ育った私は、沖縄や世界のネイティブピープルの精神性に触れたとき、自分自身が根を下ろすのにふさわしい大地はどこなのかと、いつか自分が還る大地を探しはじめた。

 沖縄という強烈な島に出会ったとき、自分のことを地に足の付かない放浪者のように感じた。大阪にも岡山にも香川にも沖縄にも根付けていない、どこにでも行けるけれどほんとうはどこにもいない、鉢植えの観葉植物のような自分を知ってしまった。

 インディアンやアボリジニやアイヌなど、世界中に点在しそのスピリットと生き方を守り続けてる人々は、日本語では先住民と呼ばれている。日本語の先住民からは「先に住んでいた人」という程度しか伝わってこないが、英語ではネイティブピープル、インディジニアスピープルと表現される。

 インディジニアスとは、「大地とともに」という意味を含んでいる。

 その土地に先にいたか後にきたか、そしてどの民族か、どの血筋か、そんな事は関係なしに、大地と共に生きているのか、生きていないのか。それがインディジニアスピープルの定義だ。

 その事を知ったとき、私はようやく地に足を付けることができた気がした。

  私にとってインディジニアスであるということは、インディアンのように生きることでも、アイヌのように生きることでもない。

  ただ自分自身とともに、そして自然とともにいきるということだ。

  真っ青な空と白い雲と木々の緑。小高い丘の美しすぎる風景の中に、その狂気の惨殺が行われた地をしめすモニュメントが建っている。

  人々が無抵抗のまま殺され、無造作に埋められた墓地。こんなにきれいな空の下でも、多くの悲劇が起こってきた。インディアンの悲劇の聖地の木々は、その情景を見ていたのだろうか。


 その日、ウーンデッド・ニーはとても暖かく穏やかだった。

 その日々の、痛ましさがまるで嘘のように穏やかに、遠い時をただ包んでいた。

 この丘は、その日も人々を見つめていたのだ。

 歴史の傍観者として、証人として、風はただ吹き、木々を揺らしていく。


 この地に眠るスピリットよ。心良き、正しき道を歩もうとしていた人々よ。

 私たちに力を貸してください。けして暴力ではなく、すべての人々が心穏やかに、美しく生きていけるように。

 そんな、祈りのような願いを胸に抱きながら、二度と同じことを繰り返したくないという想いと共に、丘の上の悲劇の墓地をあとにした。


 私になにができるかはわからないが、世界中のインディジニアスピープルとともに、この美しい世界を、より美しく輝かせることの手伝いくらいはできるだろう。

 文明社会のみせかけの幸せを捨てていくと、とても些細だけれども大切なことが、たくさん見えてくる。


 私が根っこをはやした場所は、大きな美しい地球という惑星と自分のこころの大地だ。

 大地にしっかりと根を降ろし、天に向かって幹を伸ばし、風に向かって枝を広げ、太陽に向かって葉を広げようと。

 自然の栄養をうけて、また自然にかえす。



     いつか自分自身が大地に帰っていくその時、


         私は地球の栄養になれるのだろうか。








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