超雑務係まんの日記
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将来の幸せ 淋しさ 苦痛 安定した未来 夢の人生
この言葉たち、それぞれ何か説明できますか?
「将来の幸せ」って何ですか? 「安定した未来」って何ですか?
一方で 「苦痛」って何ですか? 「淋しさ」って何ですか?
きっと共通してるのは 上記の言葉で何となくの想いが沸き上がるという事。 それは希望であったり、辛辣であったりと。
ただし、例えば 「夢の人生って何ですか?」と問われて、 他人にうまく伝えられますか。。?
人に意味を伝えられないのにも関わらず 上記の言葉に縛られて、自身を失っていませんか。
そんな問いを発する人がいたならば、 (いえ、狂ってる人ほど恥を感じずに聞いてくるのですが) 私は似たような事を質問された時、こう示唆していました。
将来の幸せ=解釈です 淋しさ=解釈です 苦痛=解釈です 安定した未来=解釈です 夢の人生=解釈です
解釈だと考えてます。
解釈は拡大したり、縮小したり すごく自由度のあるアイディア。 そう。束縛されるような狭い存在では無いのだ。
けれど、どうだろう。 今や 時には恐怖を与えるような厳格な基準になったりもしている。
淋しさ、苦痛=死ねばよい 夢、将来、人生=勝利、成功、収入など
そんな狭小な設定をわざわざ施して 単純な言葉のイメージに酔い、悲劇のヒロインを夜な夜な演じる人が どうしてたくさんいるのだろう。
多くの最近起こっている犯罪は 「自分なりに頑張っているけど、周りが気づいてくれない」 といった、責任転嫁の発想から来ていると思う。 悲劇のヒロインは、ずいぶんと短絡化しているのだ。
その責任転嫁の発想は 本来、大変に自由度のある解釈が 誰かに与えられた画一的な希望や将来や悲しみや傷だったりするから すぐにヒロインへと走ってしまう。
恥ずかしがって、真剣な言葉で誰とも議論をした事がないのだ。
本気の言葉を、人間にぶつけていないから メールやネットの言葉遊びにハマって飽きた頃、 自分には誰もわかりあえる人がいない事に気づいてしまう。
そして ふと足下を見た時に 身近な存在である旦那や恋人や家族が、 やはり一番だと 安易に改めて実感してしまったりするのは 悪い感覚ではないと思う。
しかし、そんな実感が出来ない環境の人が 結局、狂気の道へと踏み出してしまうのは 誤解を恐れつつ、これも悪い感覚ではないと思う。
でも ヒロインが本当の悲劇だったら、 ヒロインでは無くなってしまいますが。
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