2006年04月23日(日) : 世界は閉じているか

 相変わらず、こそこそとよそ様の所を黙って巡っては、話題をこっそり持って帰って来るせこい人です。やーなかなか「お久しぶりです」って言いにくいねえ忘れられてる可能性も激しくあるもんねえ(自業自得だ馬鹿)。
 ということで、今日も拾ってきた話題。

 基本的に、小説を書くという作業は、「閉じた」行為です。自分の中にある想いを、文字言葉に託していくわけですから。一人でね。
 しかし、それを書く人間の世界が閉じていてはしょーがないですよね。いやまあ、自分のことは置いておいて。
 書かれたものを「発表する」ということは、プロアマ問わず、自分以外の誰かの目にそれが触れるということ。そうなれば、自分以外の人間が見るんだから、自分とは違う受け取り方が出てくるのも、至極当たり前のこと。
 それが、最近では、作者の了承無しに感想を書くな、作者の意図以外の感想は認めない、みたいな風潮が出てきているらしい、又聞きの又聞きの又聞き、更に又聞き、くらいで目にしたんですけど。

 だったら、wwwで発表する必要ないでしょう。自分の意図してた考えと違う見方されるのが嫌だったら、他人に見せたら駄目でしょ。じゃなかったら、wwwじゃなくて、仲良しグループの見せっこで終わらせればいい。そもそも、wwwってどういう意味か分かってるのかな。「world wide web」ですよ? 
 まあ確かに、時々、感想とかレビューとかいう題目を掲げて、人の作品をぼろくそに貶す人がいることはいるでしょうね。しかし。
 許可とっていようがいまいが、レビューや感想や、をサイトのコンテンツとして、ブログとして、わざわざ時間を割いて書いてくれるということは、その作品は、自分以外の人間に、「何か」を感じさせたのだ、ということじゃないんでしょうか。それも否定するのか? 読み飛ばされるのではなく、心に留めてもらえたのに。
 作者の許可を取れ、という人は、自分の知らないところで自分の作品が色々言われるのが嫌、ということ、なんですかね。読んで欲しいけど、賛同と賛美以外はいらない、って何だそれは。
 そんな閉じた世界が欲しいのなら、wwwは貴方には向いていません、というしかないですね。自分の情報が全世界にリアルタイムに発信できる、これこそがwwwの利点でしょう。変な風潮。

 実際は、本当は自分だって、打たれ弱いかもしれない。言われたことないから分からないだけで。誰だって、傷つくのは嫌。でも、そうなったときは、「だったらもっと面白いものを書いてやるわ!」と発奮できる人間でいたい。
 火がついた以上は、燃え上がって突っ走る所存。









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