2003年07月23日(水) : 歴史

大学で史学を専攻していたので、当たり前なんですけど、歴史が好きです。
ヲタク歴よりも実は歴史好きな方が、年季いってるんです。
しかし、大学入る前は日本史志望だったことは、公然の秘密です。
もはや今では大半の記憶が抜け落ちた日本史……。
平安〜源平時代が好きで、『平家物語』『義経記』なんかを熱心に読んでいたのは、もう過去の話です。そういや、2005年の大河はまたしても義経ですね。今度の義経は誰だろう……。成吉思汗伝説持ち出したら怒るぞ。余談。

えーと。そんなわけで、架空の歴史を書いたり読んだり、も好きです。
ファンタジー小説でも、綿々と歴史が積み重なってきて、その上でこの物語があるんだよ、みたいな書き方されると堪りませんね。
「その後の物語」を考えるのが好きなのも、そのせいなのかな。物語が終わっても、その世界は続いていく、その世界で人は生き続けていく、っていう。

『華京』の舞台は、中国をモデルにした華という大陸です。
我々の世界をモデルにした汎用世界の、一つの大陸です。
光王朝は宋代がモデルですし、先代泱王朝というのは、言うまでもなく唐がモデルです。唐→五代十国→宋、という流れそっくりで、光は成立してたりして。泱→十三帝→光、です。
んで、光の初代皇帝は「太祖」ですが、これは手抜きとかじゃないですよ。太祖、というのは元々、初代皇帝の号なのです。ただ、漢と唐では太祖といわずに高祖といいますが。これは、『史記』高祖本紀に引く集解の注を見ると、漢高祖劉邦のために作られた号のようです。後梁の朱全忠も高祖ですが、これはちょっとイメージが外れるなあ。明の朱元璋が高祖でなく太祖なのは、やっぱりダーティーなイメージが強いからでしょうかね……。明以降は一世一元制になり、元号=皇帝の謚名になったんで、個人的には明の皇帝は○○帝って呼ぶほうがしっくり来るんですけど。
で、唐と宋は皇帝のことを謚名ではなく、号で呼ぶんで、二代目は両方とも太宗ですね。泱と光もそれに倣って、二代目皇帝は太宗です。ところで、二代目は昭穆制に従って太宗と呼ぶ、と昔、講義で聞いたような気がするんですが……。辞書引くとそんな記述ないし、記憶の捏造かしら……。

何か話がそれてますよ。
えーと、『華京』の歴史背景は、大体、北宋眞宗時代あたりと想定していただければ、ってことです。大中祥符あたりの年間。勿論、北方には遼にあたる異民族がいます。物語中にはあんまり関係しませんけど、『華京』は華京だけで閉じた世界ではなく、過去もあり未来もあり、もっと外に広い世界もあり……という風に、「広がり」を感じていただければ。
『華京』二話の二、冒頭でちょっと光王朝成立の話を挿入していますが、宋太祖趙匡胤即位の話にそっくりです。
この後、光にも徽宗みたいな皇帝が出てくるんでしょうかねぇ……。でも、北光、南光、という言い方はちょっとおさまりが悪い気がするんですけど。いや、書く予定にはないです。
ただ、ちょっと唐宗李世民をモデルにした、泱王朝設立の偽歴史ものを書くのは楽しそうだな、と思ってみたりもしますが……。史料が! 
『華京』でもちょくちょく、泱や光の歴史の話を挿入することになると思いますが、本当に歴史が好きだなあ、としみじみ思った次第です。

ここまで適当に書き散らし、激しく脳の後退ぶりに愕然ときました……。
もっと使えよ! 脳みそ!









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