2002年07月09日(火) :
資料類
『華京騒動録』ですが。 「ここはどうなんだ?」「そういや、これって……」とか思い出すと、どんどんどんどん(以下略)深みにはまって、資料を漁る羽目に。 それでですね。 当たり前なんですけど。 歴史もの(か、あれは?)の資料というのは、やはり学術書が多いわけです。 立派な箱入りの。保護紙もついてる。 いわゆる専門学術書ではなくても、判型もお値段も、全然、文庫じゃないんですけど、平凡社の東洋文庫! 中公とか岩波とかの新書で、もう少し出してくれませんかねえ。中国史関係。そしたら、値段もそこそこで、一般の書店でも手に入るのに……。
勿論、ハードカバー本の利点はあります。高くて場所を取るけど……。 丈夫なこと。これにつきます。 何度も何度も、色々と繰り返し調べるのに使うのだから、装丁がしっかりしているの越したことはないのです。 文庫なんか、最近はカバー紙もコーティングされているものが多いですが、十年ほど前はそうでもなかったです。陳舜臣の『小説 十八史略』なんて、繰り返し繰り返し読んだものだから、もうよれよれ。背表紙は脱色してるし……。色は変わってないけど、よれ度で言えば、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』も。いや、一番よれってるのは、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズなんですが。新潮文庫の、延原謙訳の。年季入ってますから。
話がそれましたが。 気が付くと、参考文献が増えていく恐ろしさ。 小説を書いているときは、ずんずん机の上に、資料が重ねられていくんです。 一番使うのは『東京夢華録』ですが。 本当に、宋そのものを描いてるわけじゃないから、ちっとは融通利かせればいいのに……。 いえ、スランプとかじゃなくて、今、全然小説書いてないのは、ゲームで……あわわわ(検閲削除)。
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