スタンドから眺める木漏れ日
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2007年04月14日(土) |
同行二人 -本日の相方さん- |
1ヶ月ほど前、相方さんは通っている病院を変えた。
というよりも、私が「変えさせた」と言っても過言ではない。
以前通っていた病院は、有名な総合病院だった。
家からあまり近いとはいえず、待ち時間も1〜2時間と長い。
それだけ苦労して、診療時間は毎回5分程度。あんまりである。
でも相方さんは、「とりあえず薬をもらえればいい」と通い続けていた。
本人が納得してる以上、いくら家族でも転院を強制することはできない。
そう思っていた経過を見守っていた私が、ある日ブチ切れてしまった。
原因は、相方さんから聞いた主治医の言動にある。
ある日、診察のときに「何か変わったことは?」と聞かれ
仕事を辞めたことを伝えた相方さん。
その際、きっかけになったことや心の変化も話したときに
主治医からこんな言葉が返ってきたそうだ。
「何で、そんな些細なことでそういうふうになっちゃうんですかねぇ?」
「うつ」という病に理解がなく、偏見を持った人の発言ならば仕方ない。
実際、そういう人たちがまだまだ多いのが現実である。
でも、この人は医者だ。しかも、れっきとした精神科医である。
心のスペシャリストであるはずの人間が発する言葉ではない。
心の病に苦しむ人々が望んでいるのでは
「なぜ、些細なことであなたの心が大きく揺らいでしまうのか、
これから一緒に考えていきましょう」
という言葉ではないだろうか?
先の「失言」を聞いた相方さんは
「この人に何を話してもダメだ」と失望し、
その後はただただ薬をもらうためだけに通院していたという。
治療に対する患者自身の積極性を、医者が奪ってしまったのだ。
そもそも、私自身はこの病院の主治医に懐疑的であった。
本来、うつ病の治療には家族の協力が大きく作用するので
通院にはできるだけ家族が付き添うように、と関連本に記されていることが多い。
仕事の都合で、最初のうちに同行できなかった私だが
治療開始からだいぶ経ってどうにか都合をつけられるようになった。
でも、いきなり一緒に行っては主治医の治療方針を阻む恐れもあるので
相方さんに事前に聞いてもらうことした。
その答えが「今さら、ご家族にお話するようなことはない」というものだった。
曰く、「治療の経過などは、患者である御本人からの説明で十分」だそうで。
正直、納得のいくものではなかったが
そのときは「これも主治医の治療方針の一環なのね」と諦めてしまった。
しかし、あの「失言」だ。もう我慢できない。
当人である相方さんではなく、私がキレた。
「お願いだから病院変えて!」
そして、現在通っている病院に転院したのである。
今度の主治医とは、今のところ気が合うようだ。
先日も「何か変わったことは?」と聞かれて
「最近眠くて仕方がないんです」と言うと
「あ〜、そりゃ健康な人でも眠くなる時期ですからね〜」と
ごもっともな返事をいただいてきたらしい。
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