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■ 佐世保発、少女のサイト / 草を刈る、他
天気予報があまりに当たらなくて驚いております。
「農業後継者の会」の活動とやらで、町の運動公園の草刈りなどをやってみた。 その後、会で栽培しているトウモロコシの世話。 収穫して、町のお祭りでばっちり売って、売り上げでまた飲むらしい。うるわしき循環。
加速度的に地域の一員として認知されていく自分と。 それに反比例するように、ここで生活を築く気を無くしていく自分と。 ま、そんなことは人前で言えないんだけれども。
なーんてね。
昼からはまた園地Mに戻って、まったりお仕事。
今さらながらに、例の佐世保の加害少女が開いていたサイトを覗き見ました。
はっきり言って、必死こいて探した自分が嫌。 いやらしい野次馬野郎だと思います。
でも……なんだろうな。何かがあるという気はする。自分なりに、考えるヒントを探しているのかも。 白状すると、大阪で大学生が親を殺した事件で話題になった、彼女である女子高生のサイト(ゴスロリどうたらってやつ)も、当時必死こいて覗き見してました。
その人が公に発信していた情報を見ようとするのは、少年A、少女Aの本名やら顔写真やらを探すのとは、全然違うんだ……と、自分では思っているんですけどね。 同じ野次馬根性とはいっても。言い訳ですが。 すべて、言い訳ですが。
一応、感想を書いておきますと。
普通だとか、普通じゃないとか、そういうことはひとまずおいといて。 (というかそんなこと決め付けられる立場じゃないし)
俺は、とても、理解できる気がした。 彼女と俺との違いなんて、この日記を読んでるアナタと俺との違いほどにも違わないんだって、よく分かります。
声高な議論。 オウム裁判でも思ったけれど、良識ある市民のみなさんは、壁の向こう側でさかんに良識を論じておられる。 俺は壁のこっち側で、殺人者たちの論理をかみしめている。 俺は確実に、こいつらの方に近い、と感じながら、ね。
一つだけ。 子供は元来、あからさまに残酷なものですよ。 成長していくにつれ、残酷さを内に秘め、地下に潜らせるだけのこと。 それは大人である俺たちが、一番良く分かっていることでしょう。というか、そういう風にできる人が「大人」と呼ばれるようになるだけのこと。
人は、日常の狂気、という。 日常が狂気なんだけどね。もともとは。 きっと、そういうことを認めたくないのでしょう。彼らにとって、日常は高度に完成されていて、システマティックで、信じ祝福されるべきものでなければならないのだろうから。
カフェスタの彼女のサイトは、突拍子もないものではなくて、そうと知らなかったら通り過ぎてしまいそうな感じでした。 逆に言えば、そうやって埋もれている星の数ほどの一般人のサイト、その一つを作ったのが同級生の首をかき切った殺人者だというのは、その事実こそネットの狂気だと思いました。
2004年06月06日(日)
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