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■ 自己責任論 (検索されるかな(笑)) / イメージのばか
EM散布。 ずいぶんよく働いた。くたくた。
明日は朝6時からお仕事である。 ということは・・・寝よ。
自己責任論とやらがかまびすしい。
こいつら本気で、海外なんかパックツアー以外では行ったことないんじゃないのか、と思わせるマヌケっぷりだが、笑ってばかりもいられない。 別に個人旅行したからエライわけじゃないし、日本国内でだって緊張感を持って毎日を過ごしていればそんな寝言は言わないはず、だけどな。
政府内部からさえも自己責任うんぬんの意見が出てくるのは、世間知らずが多い業界だというのを割り引いて考えても深刻な事態かもしれない。
と思っていたら、俺の言いたいことをまるごとスパッとまとめてくれた人がいた。今日の朝日新聞に寄稿している富山大学のセンセイである。 往々にして政府に批判的なNGO(NGOなんて、政府に頼ってちゃ話にならないってんで立ち上げるわけでしょう)の活動を、いかにバックアップするか・・・民主主義の成熟度が問われる、というのは鋭い。
渡航禁止だなんて、いつまで「民衆はか弱きもの、保護すべきもの」というお上感覚を引きずるつもりなんだ。ナイフ突きつけた場面をガンクビ揃えてカットしたマスメディアもこの感覚から抜け出せないでいるけど。
彼らは自衛隊派遣を批判し、日本政府のイラク政策を批判したおかげで解放された。逆だったら殺されていた可能性はずっと高いし、少なくとも32歳のフリージャーナリストは他の2人の支援活動のおかげで助かっただけだと思う。
自己責任なんていうのは、人間社会の一番基本的なルールの一つなんで、今さら強調されること自体がものすごくおかしいんでさあ。 俺がものすごく違和感を感じたのは、ある時点を境にして被害者家族が会見のたびに「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と最初に必ず言うようになったこと。
何一つ悪いことをしていない家族が、なんで謝るのか――しかもあそこまで申し訳なさそうに。まあ、俺も日本人だからなんとなくは分かるけど、きっと日本社会以外の人には理解してもらえないな・・・と思ったが、まあ、それが日本社会のルールのようだからそれはいい。ただ、
「謝れ」という圧力が、ものすごく家族にかけられていたのを感じずにいられなかった。それが恐ろしかった。 自己責任論もその延長にあるものだ。順序がみんな、まるっきり逆さまになっているんである。
俺は彼ら3人がとりたてて素晴らしいことをやっていたとは思っていない。少なくとも18歳のコは状況認識がすべての面で甘すぎるし、あのフリージャーナリストはそもそもジャーナリストと名乗る価値もないと思っている。ああいう活動はジャーナリズムという単語とは程遠く、むしろ野次馬と呼ぶべきものだ。きっと、センセーションさえあれば、イラクでなくてもいいのだ。「海外にいるときの俺は、生きているって感じがする」・・・真性の勘違い野郎である。 あの女性だけは、地味だけど確かな活動をやっていたんだなとわかるけどね。「でもイラク人のことを嫌いになれない」、重みのある言葉だなと思った。
それでもなお、彼らのような日本人がイラクの地にいることは大事なことだと思う。自己責任なんて陳腐もいいところの言葉をふりかざして、えらそうなことを言ってんじゃねえよ。
どうしてこう、イメージだけのふわふわした言葉しかしゃべれない奴らがえらそうにしてるんだろうな。
ネット、ウェブ上のことばたちも、「ホントか嘘か」で分けられるものじゃないんだよ。「イメージで語っているか、五感で語っているか」で分けられるものなんだ。 俺がここに来たのも、イメージで決め付けていては何も分からないから、まずナニカをやってみようと思ったのが始まりだったけど、とにかくイメージで何かを断じるのは絶対に良くないよ。
だから、こんなに長いことを書くんだよ。 ほんとに、良くない流れだよ。
2004年04月17日(土)
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