ジョージ北峰の日記
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XXV 私が北極に興味を持ち始めた頃、科学による極地探検と言う美名の下に、人類による極地の開発が少しずつ進められていました。 私が自分の研究を通して少なからず不安を抱いてきたのは、人がこれまで無遠慮に垂れ流してきた極地汚染のことだけではなく、極地開発によって、長い間封じ込められてきた、危険な微生物が復活してくる可能性が増大するということでした。 私が発見したあのウイルスでさえも、実は地球温暖化に伴う過去のウイルスの復活だった可能性が高かったのです。その意味が持つ重大さについても充分研究されないまま、北極では、エネルギー確保のために資源開発を進めようとしていたのです。勿論北極近隣の諸国にとっては、200海里を排他的経済水域として、北極のエネルギー開発を進める権利はあるのです。エネルギー不足が深刻化しつつある世界の状況の中にあっては、それは当然の事かも知れません---がしかしそれ以前に、極地がこれまで無言で果たしてきた重要な安全弁としての役割について、人がもう少し真剣に研究する必要があるのではないか?それが地球人として果たすべき最低の義務ではないのか?と、私は考えていたのです。
私達がUFOから降り立った地点は四方八方見渡す限り延々と続く雪原で、絶えず風が吹き、それが強く吹き上げる度に粉雪が荒々しく舞い上がる。 それこそ幾重にも高低差のある大波が荒れ狂う白い大海原のようでした。 5次元の世界から3次元の世界へ帰還した瞬間から厳しい寒気に見舞われることになったのです。無論UFO内で寒さ対策を十分してきたのですが、それでもその凍えつくような寒さは、初体験でありましたので、私には堪(こた)えました。 しかし私がもう少し驚いたことはパトラが、UFOの乗組員と随分手馴れたよう様子で小屋のような簡易建築物を設営したことでした。設営が終わるとUFOは私達二人を残して忽然と消えて行きました。 パトラに促されて、小屋に入って驚きました。外は吹き荒(すさ)ぶ雪原なのに、内はホテルの一室のように、明るく暖かく広い間取りでテーブルやベッド、ソファなどの調度品が揃えてありました。 「いよいよ地球に戻ってきたのです。あなたは一度オーロラを見たいと言っていましたね」と、少し緊張が緩んだのか、パトラは防寒服を脱ぎながら笑顔を見せるのでした。 私もパトラの様子に少し緊張の糸がほぐれて「確かに---しかしあれは随分昔の事だったように思えます。あれから今の今迄、私にとっては本当に想像も出来なかった、もの凄い体験の連続でしたから---あのことはもうすっかり忘れかけていました」と、答えますと---パトラは「お酒かコーヒーでも入れましょうか?」少し甘い声で囁きました。 私はこれまでお酒を飲む度に意識が朦朧としたことに、少し懲りていましたから「熱いコーヒーがいいと思う」と苦笑しますと、パトラは私の言う意味が理解できたのか「そうね、あなたは目が覚めるたびに、驚かせてきましたから。でも、もうこれからあなたを驚かせることはありません。私もあなたと、一緒にパートナーとして暮らすのですから---」 「いや、パトラは憧れの女王様のままで---」と言いかけますと、彼女はコーヒーカップを持ったまま、もう片方の手で私の唇を押さえ「いいえ、もうラムダ国のことは忘れてください。もし地球人にラムダ国のことが知れたら、私達の関係は、その時から消えてしまいますから」カップを渡しながら彼女は真顔で囁くのでした。「そうだった」私は地球に戻る時、パトラの父、あの老博士が語った言葉を思い出していました。 パトラの言う通り、私はもう気持ちを切り替える必要があったのです。[パトラと一緒に故郷に錦が飾れる]それだけでも私にとって夢のような話でしたから---私はコーヒーを飲みながら、ソファに深く腰をおろしますと、彼女も私の肩に手をかけ傍に並び座り、悪戯っぽい表情で私の顔を覗きこむように「あなたは、私のことをどう思っているの?好きなの?--あなたの気持ちをこれまで一度も聞かなかったのですから—今、教えて!」と笑顔を見せ、少し馴れなれしい口調で言ったのです。 それは、これまで女王パトラが決して見せたことのない女らしい一面でした。 そう言えば彼女は、ほんのここ2、3日の間に、ふくよかな女性の肉感さえ漂い始めていたのです。 滑らかな頬から顎の輪郭、ストレートな緑の髪、長い睫、美しい口元、均整のとれた肢体、見れば見るほど、彼女の姿は本当にクレオパトラのように見えたのです。 「そんなことは分かりきったことでしょう?---私は初めてあなたに会った時から、あなたがラムダ国の命運をかけて命がけで戦っていた時も、片時としてあなたのことを嫌と思ったことはありません。ズーっと尊敬してきました、いやそればかりか、言葉で言い尽くせないほどの恋心を抱いてきたのです。あなたも分かっている筈でしょう?」 「しかし私には、あなたに何一つ役立つことが出来なかった。だから少し引け目を感じていたのです」と続けて言いましたが、言葉で彼女に自分の本当の気持ち、心の奥まで表現することが出来ず、それが歯がゆく苛苛(いらいら)するのでした---かと言って彼女はとても神々しく遠く感じられ、私の気持ちを行動でどう表現すればいいのかも分かりませんでした。 しかし---心の戸惑いとは裏腹に、私の腕は勝手に彼女を抱きよせ、緑の髪を愛しそうに撫でたのです。 意表をつかれ彼女も少し驚いた風でしたが、私の気持ちが通じたのか、少し嬉しそうな表情を見せ、全身から力を抜くと目を閉じたのです。昔、映画で見たようなシーンでした。私は、どうするか迷いましたが---やはり此処はキスをすればよいのか? 少しぎこちなく恐る恐る唇を重ねますと、彼女は、答えて優しく舌を絡ませてきたのです。それはふっくら厚く、軟らかい感触でした。私は全身が熱くなり、彼女の強い鼓動が初めて感じられたのでした。 暫らくの間、私はパトラを愛することの幸せと現実感が胸に一杯に広がり身も心もとろけるような充実感を味わったのです。 パトラにとっても命がけの修羅場を潜(くぐ)り抜けてきた末のひと時!やっと彼女に訪れた静かな平和! 「私は死ぬまであなたが地球で平和で静かな暮らしができるように精一杯努力します」と、耳元にキスをしながら約束しますと、パトラの目が少し潤んでくるのが分かりました。 それは、パトラと最初に出会ったパーティ-で踊った時に見せた憂いに満ちた表情を思い起こさせたのでした。 「私からもプレゼントがあります、防寒服を着て外に出ましょうか?」 彼女は少し意味ありげな表情を浮かべ、元気よく立ち上がると、私を外へ誘うのです。
外へ出た瞬間「あっ!」私は絶句しました。
なんと、暗黒の夜空一杯に、赤、白、緑、紫の幕が織り成す大自然のショウが始まっていたのです。 少年時代から恋憧がれていたあのオーロラ!
荒れ狂う雪原とは対照的に暗黒の空に舞う光の競演は私達を祝福するための女神の踊りのようにさえ見えたのです。 私は夜空の壮大なショウに釘付けにされたまま、溢れ出る涙をどうすることも出来ませんでした。 「負けたよ、パトラ。本当に有難う」私は思わずパトラを抱き寄せていました。
この場面は、私が少年時代から思い描いていた恋物語の顛末に少し似ていました。
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