ジョージ北峰の日記
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ゴルバチョフ出現と西ベルリンの壁の崩壊、続くソ連共産主義の崩壊は、第二次世界大戦後最大の歴史的事件だったと言えるのではあるまいか。しかもそれが、戦争もなく実現した点である。ゴルバチョフ出現後は、彼の魅力的な話し振り、エネルギッシュな活躍、そして、それまでの東欧諸国ではとても信じられない数々の政治経済上の変革、世界の誰もが彼の手腕に素直に拍手喝采を送った、と思う。ただ彼は、何故かソ連国内での支持が少なかったように思う。あまりに彼の考え方が進みすぎていてソ連国内の人々には理解不可能だったのかも知れない。あるいは、世界平和推進のためソ連の人々の利害をも犠牲にしてしまった国際派の理想主義者(ソ連から見れば片寄った)だったのかも知れない。彼についても、その後スキャンダルらしい話を聞いたことがない。アメリカは彼に亡命を薦めたそうであるが、拒否したと言われている。世界平和にとって、彼は本当に意味で骨のある立派な、歴史に残る政治を実現した政治家だったのではと私は考えている。 第32代アメリカ大統領、ルーズベルト、彼の示した、抜きん出たリーダーシップはアメリカ、否 世界史の中でも特筆されるべきもので、戦後、世界の近代国家のあり方を決定付けた人と言っても過言ではないだろう。資本主義の大恐慌に際してはニューディ‐ル政策、第二次世界大戦に対しては (1)言論の自由 (2)信仰の自由 (3)恐怖からの自由 (4) 欠乏からの自由 を4つの理念として戦争目的に掲げ、連合国を指導、戦争を連合国側の勝利に導いた。アメリカの大統領として一人4選された傑出した大統領だった。今でもすごいと思うのは、ややもすれば忘れられがちな権利 (3)恐怖からの自由 (4)欠乏からの自由を人間の権利と明確に指摘した点ではないだろうか。当たり前のことのようで軽視されがちな権利では、と思う。世界の人々がアメリカを世界のリーダーと認知した、最も偉大な判断だったのでは、と考える。彼についても、やはりスキャンダルらしい話は聞かない。 一方20世紀を風靡したイデオロギーにマルクス・レーニン主義がある。高校を卒業したばかりの私がテレビかラジオかの討論番組で‘社会を科学的に分析する’と言う言葉を聞いたとき、それが何を意味するのかさっぱり理解できなかった。 そんな時、大学の社会科学の教官から大学生として常識だよと薦められて、レーニンの「帝国主義論」、毛沢東の「矛盾論」を読んだときの興奮、それはまさに「目から鱗が落ちる」と言った経験であった。それまで、狭いナイーブな目を通してしか、周囲を見る事が出来なかった。しかし、今は自分の視界が一挙に広がり社会の見方・読み方に一挙に自信がついたような気がした、一人前の大人になれたような自覚を持ったのである。周囲の人達の議論をレベルが低い(?)と馬鹿にしていたのもこの頃である。社会・政治・経済は科学的に議論しなければナンセンスだ等と分かったようなことを言って周囲の友人から煙たがられたのを思い出す。 レーニンの考え方は、資本主義が高度に発展した段階では、独占資本による金融寡頭制が進む。その結果一握りの独占資本化によって国家、否、世界は支配され、労働者は搾取され貧困層が増加する。その結果、資本家と労働者、両階級に貧富の差が拡大、緊張が生まれる。そこで労働者が階級間の闘争の必然性を認識し、階級闘争を挑み、資本家からの自分達の自由を奪取しなければ、労働者は永遠に貧困と被支配階級から脱却することは出来ない。資本主義体制では、階級闘争は歴史的必然で、それなしに労働者は資本家からの解放、正当な報酬と自由を得ること、即ち人間性の回復は出来ない。 資本主義のある発展段階で歴史を更に前進させる過程は、労働者による暴力革命の必然性の認識とその実践が不可避であると言った内容だったように思う。そしてレーニンは農民・労働者階級を組織、ロシア革命に成功、ソ連邦を樹立、また毛沢東は中華人民共和国の建設に成功した。 その後は米ソの冷戦、また日本でも、共産主義の是非については長い論争が続いた。しかし当時頻発する政治的経済的危機や事件を分析しようとする時マルクス・レーニン主義(科学的社会主義)ほど明快で、人を納得させる理論はなかった。当時、レーニン・毛沢東の著作ほど若いインテリを魅了した本はなかった、と思う。しかしレーニンは、ドイツの東西を分断していた壁の崩壊とともに英雄の座から引き摺り下ろされた。一方毛沢東は、文化大革命に際して、第4婦人、江青ら4人組による民主主義の弾圧と左翼主義の徹底を図ったが失敗した。その後、中国ではともかく英雄、毛沢東のイメージは地に落ちたように思う。
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