ジョージ北峰の日記
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世界最高峰の山エヴェレスト、いつの日からか憧れるようになった。実物はまだ見たこともなく、写真や、映像でしか知らない。イギリスの登山家が最初に登頂に成功してから、幾人の登山家達がエヴェレストの登頂に成功したかも知らない。しかし、自分も一度は、挑戦してみたいと、何時のときからか、崇拝にも似た憧憬を覚えるようになった。写真や映像にみるエヴェレストでも、四季折々に見せる姿は自分にとって、時に、父母のようであり、恋人のようであり、時に心を惑わす悪魔のようであり、女神のようである。こんな神秘的で、抑えようのない精神の高揚を、何故エヴェレストは抱かせるのか。 抜けるような青い空 想像をはるかに越える高い空間 それを貫くようにそびえる不合理とも言える幾何学的構造 そして太陽にきらめき、薄雲を従え下界を見下ろす姿。 一生に一度でいい、眼前に、その姿を見せて欲しい。 見れば、きっと自然で素直な気持ちで祈りをささげるに違いない。 現実は、恐らく近づきがたい障壁が立ちはだかっているだろう。荒々しくほとばしる急流の河、やっと、日陰の緑の潅木林を過ぎたと思うと、目も眩む絶壁、しかしその上には高山植物が可憐な花を咲かせる、雄大なお花畑、それも過ぎると、雪渓、最後は絶望的とも言える氷壁、時に鬼神のように空間を裂く嵐等等。 艱難辛苦に耐え、世界の頂上を征服した冒険家たちの喜びはいかばかりのものだったろう。 人は生を授かった時から、ただ生きる事だけが目的だとは考えない。ときには、恋人のため家族のため、否、仲間のため、国のため、宗教のために死ぬことを恐れない。自分のため、死ぬことは? それは卑怯だと考える人が多いだろう。英雄は自分の為ではなく人の為に死んだ人達ではなかったか。で、エヴェレストの為に死んだ人達は?英雄なのか? やはり、登頂に成功した人も、失敗した人も自分には英雄に見えてしまうのだ。エヴェレストに挑戦した時には、当然、何パーセントかの死を覚悟したはずだ。何の為に、自分の為に? それはあるかもしれないが、自分の生きる目的を問いたいのだ。 その為なら死をも覚悟する存在でありたいのだ。 神の為、死をも辞さない心の有無を、エヴェレストは人に問うている存在、と思えるのだ。
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