与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


2008年11月15日(土)  望郷 〜 在外邦人が泣く故国のうた 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20081115
 
 外国のレストランで日本人が座っていると、専属バンドが寄ってきて
「さくら、さくら」を演奏し、チップを催促するそうだ。ジャルパック
の観光客が、男声合唱の「おぼろ月夜」に泣く映像を観たこともある。
 
 むかし、与太郎が見つけたドイツ人のギター弾きイエンズも、どこで
覚えたのか「さくら、さくら」をレパートリーにしていた。あるとき、
与太郎が、おどけてヴァイオリンを持ちだし、共演したこともある。
 
 専属のバンドも乗ってきて、それぞれアドリブを持ちまわりはじめ、
ついには酔客みんなが踊りだすほどの熱狂になった(クラブ・セレネ)。
 途中でイエンズが「What' key ?」と尋ね「In G !」と答える。
 
 イエンズは、ママの誕生日(1123)に間にあうよう、故郷に帰った。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19721123
 イエスタディ 〜 イエンズへの手紙 〜(未完草稿)
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
── 北朝鮮拉致:めぐみさん31年 新潟で「忘れるな」集会
 
 めぐみさんとの思い出を歌にした曲「コスモスのように」を聴きなが
ら涙を流す横田夫妻(中央)と曽我ひとみさん(左)ら=新潟市中央区
の新潟ユニゾンプラザで3008年11月15日午後4時1分、黒田阿紗子撮影。
(*3008年=原文のママ)
 
 北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん(当時13歳)が新潟市内
で拉致された日からちょうど31年になる15日、市内で「忘れるな拉
致11・15県民集会」が開かれた。父滋さん(76)と母早紀江さん
(72)が講演し、「今年こそは助け出したい」と拉致問題の早期解決
を訴えた。
 
 北朝鮮で一時生活を共にした新潟県佐渡市在住の拉致被害者、曽我ひ
とみさん(49)も出席し、思い出を語った。「姉妹のような関係だっ
た。夜に2人で、小さな声で(童謡の)『もみじ』を歌ったことを思い
出す。日本に帰ってきて、大きな声で歌える日を一日も早く迎えたい」
と話した。
 
 会場に集まった支援者ら約450人と一緒に、めぐみさんとの思い出
を歌詞にした曲「コスモスのように」を歌った早紀江さんは「日本に帰
ろうと迎えを待っていると思う。こうして運動を続けるしかない」と涙
をぬぐった。【黒田阿紗子】
http://mainichi.jp/select/world/news/20081116k0000m040049000c.html
 
── 高野 辰之・詞/岡野 貞一・曲《もみじ 1911‥‥ 尋常小学校唱歌(ニ)》
《紅葉(もみじ)/故郷(ふるさと)春の小川/朧月夜(おぼろづきよ)》
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/momiji.htm
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040517 詩人誕生 〜 曽我姉妹 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040214 埒があかない!?
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041115 不埒! 〜 横田家の二十七年 〜
 
── 横田 早紀江・詞/岩渕 まこと・曲/岩渕 まこと&由美子・唱
《コスモスのように 〜 めぐみは生きている 〜 20080510 ライフ・ミュージック》
 
── 須谷 尚子・詞/石川 真也・曲/松岡 純也・編曲/上原 れな・唱
《コスモスのように 〜 ToHeart2 AnotherDays 〜 20080229-0326 キングレコード》
 
 ◆ 離散 〜 市川・増元両家の人々 〜
 


 市川 平  修一の父   191.‥‥ 鹿児島          /
♀市川 トミ 修一の母   1917‥‥ 鹿児島   20081115 91 /11109くも膜下出血
 市川 健一 修一の兄   1945‥‥ 鹿児島          /
 市川 修一 電電公社職員 19541020 鹿児島 朝鮮 197909‥ 24 /心臓麻痺/19780812(23)失踪
────────────────────────────────
 増元 正一 るみ子の父  1923.... 鹿児島   20021017 79 /
♀増元 信子 るみ子の母  192.‥‥ 鹿児島          /
♀増元 るみ子 元事務員  19531101 鹿児島 朝鮮 19810817 27 /心臓麻痺/19780812(24)失踪?
 増元 照明 るみ子の弟  19551005 鹿児島  /2000秋、官邸で土下座/参議院立候補落選
♀若宮 優子 劇団主宰   196.0820 宮崎   /20070201増元 照明と婚約/女優/筆名=朱宮理恵


 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20000324
 土下座考
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030813
 
── 北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川
修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981
(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資
料等の提供はなされていない。
http://www.rachi.go.jp/jp/ratimondai/jian.html
 政府認定17名に係る事案/北朝鮮による日本人拉致問題
 
── 訃報:北朝鮮拉致被害者の母、市川トミさん死去 91歳
(鹿屋市輝北町の自宅で 20080511 新開良一・撮影)
 
 鹿児島県の吹上浜で78年8月、北朝鮮に拉致された市川修一さん
(当時23歳)の母、市川トミ(いちかわ・とみ)さんが15日、同県鹿
屋市内の病院で亡くなった。91歳だった。修一さんの拉致から30年。
再会を待ち続けたが、願いはかなわなかった。
 
 修一さんの兄健一さん(63)によると、トミさんは10日朝、くも
膜下出血のため鹿屋市の自宅で倒れた。同市内の病院で治療を受けてい
たが、意識が戻らないまま、15日午後3時22分に亡くなった。葬儀
は17日正午、鹿屋市輝北町上百引1930の上村葬祭輝北斎場。自宅
は同市輝北町市成1126。喪主は夫平(たいら)さん。
 
 修一さんは78年8月12日、当時交際していた増元るみ子さん(当
時24歳)と共に、吹上浜で拉致された。
 
 健一さんは15日、「母に、修一をもう一度、抱きしめさせてあげる
ことができず、残念で悔しい」と語った。また、るみ子さんの弟で、拉
致被害者家族会の増元照明事務局長は「被害者の親世代は年齢を重ねて
いることを、政府は肝に銘じ、拉致被害者の早期帰国に取り組んでほし
い」と強い口調で話した。【新開良一、福岡静哉】
http://mainichi.jp/select/person/news/20081116k0000m040064000c.html
 
(20081115)
 


与太郎 |MAILHomePage

My追加