与太郎文庫
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2008年08月22日(金) |
Triplingual ? 〜 母語・父語・兄語・弟語・姉語・妹語 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080822 このたび有賀くんに Birthday mail を送って、たずねてみた。 「きみのフランス語と、若林くんの英語は、どっちが達者だったかな?」 すると彼は(異国の孫娘の自慢をかねて)こう答えてきた。 …… 彼の英語と僕のフランス語では比べ物になりません。彼は以前 カナダに住んでいたので、英語も達者です。僕は英語と日本語に関して はほぼ完全な二原語(2言語)人間ですが、フランス語はまだ初歩の段 階です。レストランで食事を注文したり、汽車の切符を買ったり出来る 程度です。それに比べればドイツ語はまだずっと上位にあります。なん とか会話を続けることは出来ますから。 僕の唯一の孫(4才)はスウェーデンとのハーフですが、英語も話し ますから、助かります。9月から一家でダンダスへ引越してくることに なりました。忙しくなりそうです。(20080819 09:27) 有賀くんの母語は日本語で、おそらく父語が英語だろう。 岐阜生まれの母と、大阪生まれの父のもと、京都で生まれ育った。 しばらく勤めたから、ドイツ語が兄語で、フランス語は弟語らしい。 有賀家の食卓で、三時のお茶をいただいていると、めずらしく父上が 降りてこられ、貞方くんが緊張してしまった。 番茶が転んでも可笑しい年頃だから、なんとなく笑いはじめた。 すると、ふだん謹厳な博士が、やさしく彼女に語りかけた。 「笑いに相当する英語は、たくさんあるよ。たとえばクスクス笑いなら ……。」あんまり多いので、与太郎は一つも覚えることができなかった。 のゆり姉さんも、ドイツ留学前だったが、フランス語にくわしい。 与太郎がドルドラの名曲《スーベニール(思い出)》をヴァイオリン で弾いていると「正しい発音は、スヴヌール(?)よ」とか教わった。 Drdla, Frantisek Alois 18691128 Czecho 19440903 76 /〜《Souvenir》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19581125 第一回校内ポピュラーコンサート(Program)(杉林くんの独奏) 歌詠み三代「七五調で会話している」と噂される佐々木家の如し。 若林くんは、学語がフランス語、楽語が「ファ語っと」というわけだ。 バスーンの猛練習のかたわら、いつのまに覚えたのだろうか。 与太郎は中学入学後“Is there a deer ?”という英文にとまどって 以来、すっかり外国語に興味を失ってしまった。ホメロスを諳んじたり、 フォスターの歌から学んでいたら、どうなっていたか分らない。 のちに、のゆりさんのお供で、都ホテルのレセプションに出かけて、 黙って食っていたら、ドイツ文化センター館長夫人に、こう聞かれた。 「あなたは、どうしてドイツ語をしゃべらないの?」 のゆりさんが代わりに答えてくれたが、いまなおチンプンカンプンだ。 見わたすかぎり、とびきりの美人だったのに残念でならない。数年後、 門脇くんの通訳でケンプ館長にインタビューしたが、再会できなかった。 したがって、そのあと紹介されたジェーンさんに、田村くんの通訳で 「あなたは、どうして英語をしゃべらないの?」と聞かれたときには、 「なにしろ、日本語の勉強に追われていたもんで」と訳してもらった。 与太郎の、ひそかな自負は“日本語の読み書き話す”研究である。 和洋レタリングや、インタビューの聞き書きに関する一言居士である。 さらに大阪弁にきびしく、京なまりに甘い、方言アナーキストなのだ。 ◆ ── バイリンガル=*(Yahoo! プログレッシブ和英中辞典) bilingual [bailiacuteengscriptgwschwal] *の秘書[辞書]/She is bilingual in English and Japanese.*教育|bilingual education / a bilingual secretary [dictionary]・彼女は英語と日本語の*だ 佐佐木 治綱 歌人 19090220 東京 19581008 51 /幸綱20才誕生日に没/信綱の三男 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19581008 七五調の転生 〜 佐々木家の人々 〜 (20080822)
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