与太郎文庫
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2007年08月10日(金)  真実の瞬間 〜 すれちがった人々 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070810
 
 誰々と「すれちがった」といえば、会って通りすぎたのか、あるいは
会わずに行きちがったのでしょうか? 
 それとも、街で見かけただけの場合など、いろいろなのでしょうか。
 
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3110420.html
QNo.3110420 質問者:bilda
(困り度:暇なときにでも/質問投稿日時:20070624 01:08)
 
 ◇ 
 
 田村くんのマンスリー・エッセイ《A Moment Of Truth》が届く。
 以前、どうしてブログで公開しないのか、と聞いたところ「スタンス
が違いますから」と答えた。これはこれなりに当意即妙である。
 
 与太郎のスタンスは、中学以来の構想によるものである。
 おおげさに云えば、ルソー《告白》がめざしたような内心の吐露を、
バルザック《人間喜劇》のような形式で公表することである。
 
 前者は、ほとんど友人知人がリタイヤした後の、回想録なら許される
だろうと考えている。もちろん、書かれる側にすれば不愉快なケースも
あるはずだが、よほどのことでなければ、禁じることはできない。
 
 これまでのところ「自分のことが書かれていた」というメールが数通
あっただけで、特定の記述を訂正・削除せよという要求はなかった。
(事故・犯罪の関係者からの申出については、二三応諾している)
 
 逆に他のサイトで(与太郎に関する)誤った記述や、不可解な削除の
例もあるが、その前後から判断すれば矛盾するので、あえて問わない。
 わざわざ訂正を要求しなくても、自サイトで説明すればすむからだ。
 
 後者は、過去のメモや日記、はがきや書簡、近年のメールに至るまで、
公刊されたエッセイや雑稿とあわせて、すべて文学的素材とみなす。
(バルザックは89の長短篇小説、与太郎は5年間に1000篇以上)
 
 こんなことが(誰にも)可能になったのは、わずか数年前からである。
 いまやブログを書く人口は、読む人々よりも多い、と云われている。
 ヒマを持てあます現代人が、タダで書く作家になりはじめたのだ。
 
 ◇ 
 
 以前、彼のエッセイを公開しないで、与太郎の返信だけ公表すること
を試みた。なかなか捨てがたい着想だったが、いかにも隔靴掻痒である。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060318
 釘か杭か 〜 自動翻訳ソフト 〜
 
 そこで今回は、彼の提示したタイトルをもじって、思いついたこと、
思いだしたこと、いま考えていること(*)、などを羅列してみた。
 以下(原題 → パロディ)。
 
 a moment of truth → movement of truth
 WIN/WIN situation → Dutch count situation
 prisoner of war(POW)→ prisoner of gods
 face the music → face the magic
 
Mail'20070809 10:15 from Mr. Tamura, Tadahiko
Mail'20070809 19:10 for Mr. Tamura, Tadahiko
 
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 すれちがった人々
 
 生涯に出会った人々、出会いたくなかった人や、会うべくして会えず、
めぐり会えなかった人々を総称する。
(今月のエッセイは、人生における臨場感が伝わってくる)
 
 互いを通らせる人:Person who passes each other(exite↓Yahoo)
 今擦れ違った人知っているかい:Do you know the man who just went by?
 彼と私は擦れ違ってばかりいる:He and I keep missing each other.
 
 0.Who’s who 〜 君の名は? 〜
 
 ジョージ・ルイスとジャフェ父子?
 わが“世界最大のジャズ紳士録”にも、ジャフェの名は見当らない。
 ディキシーランド・ジャズは本来アマチュア文化だからか。
 
 Lewis, George Francis Zeno 19000713 America 19681231 68 /“Louis”
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19680706
── Awa Library《Jazz Diary 1001〜1231 Death Days》
 
 アラン・ジャフェ(Jafe, Alan )のサイン? 
http://www.jazztokyo.com/gallery/gallery001b.html
── JAZZ TOKYO 19900610 in Osaka
 
── 最近のCDではアラン・ジャフェの息子が父親と同じチューバで
参加するなど、若返りが図られている。
http://www6.ocn.ne.jp/~eigakan/document/jazz-hot/yanagi/yanagisawa_01.html
── 柳澤 安信《JAZZ映画館》
 
 1.movement of truth 〜 表情は容貌にまさる 〜
 
 気になる女が、片目をつぶったときこそ“真実の瞬間”だそうだ。
── アンリ・カルティエ=ブレッソン《決定的瞬間 1952 France》
“The Decisive Moment”←“Image a la sauvette(逃げ去る映像)”
 
 北原 白秋《巡礼》の詞は「真実諦めただひとり、真実一路の旅をゆく」
と書かれている。真実は存在しない、という諦観が前提だったのだ。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070529
 真実の末路 〜 失われたものの伝説 〜
 
 2.Dutch count situation 〜 五分五分の論理 〜
 
労「ボーナス50%を要求する!」
使「とんでもない、ビタ一文だすものか!」
労「それでは、0%と50%の中をとって、25%で妥結しよう!」
 
 3.prisoner of gods 〜 天皇ご夫妻の慰問と謝罪 〜
 
 日本の天皇は、つねづね災害なきよう、豊作を祈願する祭主である。
 しばしば天災が起こるのは、天皇の祖先である八百万の神々が警告を
発するためである。西欧のマスコミは、つぎのように紹介すべきだ。
 
 地震の被災地を慰問した両陛下と被災者の対話。
皇「わたしたち夫婦のお祈りが足りなくて、ごめんなさいね」
民「あなたのせいじゃない。ただの自然現象だから、しょうがないよ」
 
 4.face the magic 〜 エッセイの手法 〜
 
 読書や伝聞にもとづく推論を“演繹”すると「女は弱い」らしい。
 エピソード記憶による考察を“帰納”すれば「母は強い」ようだ。
 以上を前提として、三段論法風にまとめれば「妻は怖し」となる。
 
 ◇ 追伸 〜 最近のブログ 〜
 
 赤城農水相「どこ吹くガーゼ、おデコにテープ、お口にチャック」
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070808
 七人の侍 〜 安倍内閣の永久戦犯たち 〜
 
 アマチュア・フルート奏者にして、夢学の紹介者の訃報。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070719
 河合家の人々 〜 未来への記憶 〜
 
(*)いま考えていること
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/component/sentiment510.html#ukikoto
 谷本 岩夫《老人として 20070810 78歳のキャッシュ》
 
 ◆ 良書三原則・追記
 
「良書の要約というものは、すべて愚劣なものだ」
── モンテーニュ《エセー(五)岩波文庫》(赤 509-5)
── 《古典のことば 19950516 岩波文庫》P205
 
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7878/meigen1.html
http://www.d1.dion.ne.jp/~wangcha/rigett001.html
http://cult.jp/cidra/wise.html
 
http://q.hatena.ne.jp/1150169214#a549187 良書三原則
http://q.hatena.ne.jp/1150169214#a551802 悪書三原則
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061006
 ゆけむり随想 〜 フロブロガー 〜
 
http://q.hatena.ne.jp/1186747196
 ブログの虚実 〜 あなたが裁判員なら? 〜
 
(20070809-0811)
 


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